傾聴
耳を傾ける。
この簡単なことがなかなか奥深いのです。
ここのところ、プライベートで
耳をひたすら傾ける、、聴く、
という機会が立て続けにあります。
例えば、、
忙しくてなかなか連絡ができていなかった母に、久しぶりに電話をしたら、すごい勢いでまくし立てる(笑)
まず愚痴が始まる。
ごめんね、こんな話ばかりごめんね、と言いながらも止まらない止まらない(笑)
気がついたらあっという間に
1時間半が過ぎていた。
いつものことだけど、話しきったらスッキリしたのか、それであなたは元気なの?子ども達は?と、聞いてくれる。
変わりないよ、元気にしてるよ、と答える。
やっぱり、まずは自分のことがすっきりしないと、ひとの話は聞けないんだな。
ふむふむ。
ほかにも、お世話になっているある年配の方とじっくりお話しする機会があり、ひたすら相槌を打つ。
時折り、あれ、それ責められてる?
なんていう気持ちがむくむく湧き上がりそうになりながらも、すぐにフラットにスーッと落ち着いていくのがわかる。
昔のわたしなら
消耗しきって、胃がキリキリ痛んでいただろう。。
自分を責めない、という高度な技を身につけたわたしは、
そうか、そうなんですね、とひたすら耳を傾け続けていた。ときどき、話とは別の景色を視ながら。
で、そろそろ時間なんで行きますねーっと
自分から腰をあげることへの罪悪感も、感じなくなっていることに気づいた。
話を途中で切り上げることが、昔は本当に苦手だった。
機嫌良く楽しく話しておられるところを遮るなんて、、できない。そんな冷たいことできない。なんて、頑なに握りしめていたから。
昔、わたしが同じ場所で見ていた景色は
本当に苦しい景色だったな。
若くて未熟だった、といえばそれまでだけど、、
役に立たなければここにいる価値がない、と厳しく自分を追い詰めては、息が詰まるような苦しい現実を生きていた。
周りにも、そのくらいの努力は当然だろう?何故それが出来ないのか?と、問い詰めるような厳しい雰囲気をまとっていたことを白状する。。(^^;
耳を傾ける
間に自分のフィルターを極力はさまずに聴く。
時々は、短く自分の話もする。
で、また聴く。
瞑想みたいだな、と思った。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.