第1回十字軍2-カリフ鼎立イスラム帝国分裂
2017.12.06 08:17
1095年、クレルモン公会議でいよいよ十字軍が結成される。この背景には大きな世界的変動があった。繁栄を誇ったイスラムアッバース朝も分裂の様相を呈していた。もともと帝国というものは、ある時点までいくと、地方の自覚を促し、分裂していくものかもしれない、それは今日でも通用するだろう。
最初の分裂は756年、ウマイヤ朝の生き残りアブドゥラフマーンがイベリアに後ウマイヤ朝を建国し、カリフを名乗ったときだった。ムスリムの中心カリフが2人居ることになった。もともとカリフとは、ムハンマド死後のムスリムの指導者という意味で、世襲王ではない。
そして909年になると、チュニジアから興ったシーア派教徒達が、ムハンマドの娘ファーティマの子孫で救世主マフディーを称するウバイドゥーラを旗頭に、エジプトでファーティマ朝を建国し、アラビア語で勝利を意味するカイロを首都とした。なんと3人もカリフが出たのだから権威もなくなるというものだ。
さらに977年にペルシア系のガズナ朝が興り、こちらはスルタンと名乗った。そしてその後興ったトルコ系のセルジュク朝のトゥグリル・ベグは、正式にアッバース朝からスルタンを承認され、カリフに代わりスンニ派の擁護者としての地位を確立し、トルコからイランまでを支配した。
下はグラナダ県にあるアブドゥラフマーン1世像