【牛込①010】市ヶ谷甲良町
町番号:牛込①010
町名:市ヶ谷甲良町
読み方:いちがやこうらちょう Ichigaya-Kōrachō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:存続
冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」
現町名:新宿区市谷甲良町
概要:江戸時代初期に幕府の武家地として成立。北側を旗本地として、南側は御先手組同心大縄地とされた。先手組同心大縄地は後に医師等に地貸しされ、田安家医師吉野元順が回春塾を開業している。江戸期は清泰院の老女栄順尼の屋敷だったが、後に僧了秀に譲り、1700(元禄13)年に幕府作事方棟梁甲良豊前宗賀(甲良家3代目)の拝領地となり、正徳(1711~1715年)の頃に町奉行支配となって「市ヶ谷甲良屋敷」と称した。
1869(明治2)年、市ヶ谷甲良屋敷東側を合併し、甲良氏の名前を採って「市ヶ谷甲良町」が起立。1872(明治5)年、近隣の武家地を併合。同年の戸数98・人口312(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属の際、旧市ヶ谷甲良屋敷~当時の1番地を市ヶ谷柳町に編入した。現在の町域内に市ヶ谷甲良町の由来に関わるものは残存しない(現行の市谷柳町25番地)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「北の方、市谷山伏町に面するの地は、焼餅坂上、市区改正の大通りにして、市店を開く。其地は一般に邸宅地なり」(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1990(平成2)年11月5日、住居表示の実施により、市谷甲良町の大部分と、市谷柳町、市谷加賀町二丁目の各極一部(以上2町道路のみ)を併せ、町名が引き継がれた。新宿区立市谷小学校の向かいで大久保通りに面している。
撮影場所:市ヶ谷甲良町