【牛込①014】市ヶ谷谷町
町番号:牛込①014
町名:市ヶ谷谷町
読み方:いちがやたにまち Ichigaya-Tanimachi
区分:町丁
起立:寛文年間(1661~1672年)
廃止:1952(昭和27)年12月
冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」
現町名:新宿区住吉町、市谷台町
概要:古くは豊島郡野方領市谷村に属す。はじめ市谷本村内の町屋であったが、寛文年間(1661~1672年)に尾張名古屋藩徳川氏上屋敷用地として収公され、当地に代地を給された。町名の由来は地形が低いことによる(備考)。1828(文政11)年の家数285軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、市ヶ谷三軒屋敷、市ヶ谷安養寺門前、俗に蓮池先手組・鍋つる先手組と称した武家地(市ヶ谷鍋釣町)、備中高梁荏藩板倉氏下屋敷、下野長尾藩本多氏下屋敷、加賀金沢藩前田氏抱屋敷を併合。同年の戸数228・人口919(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「昔時よりの市街地にて、商家多し然れども位置偏僻なるを以て、未だ繁栄を加うるに至らず」(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
「谷町」の名の如く、低湿地のため「ジク谷」と俗称される有様で貧民屈の印象が強かった。戦後になって漸くその暗いイメージを払拭しようと立ち上がり、遂に1952(昭和27)年夏、「谷の字が2つ並ぶため“市谷町”などと誤記され、郵便物が混乱する」と苦情を申し立てて改名を誓願。「住吉町・幸町・吉野町から選ぶよう」に行政に迫った結果、同年暮れから住民の希望通り「住吉町」となり消滅。西南部の93番地は1875(明治8)年以来、市谷監獄(後に「市谷刑務所」と改称)の所在地で、1922(大正11)年4月に市谷台町として分立。なお、市谷刑務所は1937(昭和12)年に閉鎖。
撮影場所:市ヶ谷谷町
撮影地:新宿区住吉町8番28号(念佛坂)