【牛込①027】牛込築地町
町番号:牛込①027
町名:牛込築地町
読み方:うしごめつきじまち Ushigome-Tsukijimachi
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区築地町
概要:古くは豊島郡野方領牛込村のうち。1872(明治5)年、牛込築地片町が付近の武家地を併合して起立。「築地」は「地を築く」で埋立造成地のこと。同例に現・中央区の築地がある。ここは白鳥池の埋立地の一部。承応(1652~1654年)の頃、池を埋め立てて造成した町屋で「片側町」、「牛込築地片町(牛込築土片町)」といった。赤城坂の下にあったので牛込水道町とともに俗に「赤城下片町」といった。普通「片町」という町名は片側町の意味とされるが、ここは「新しい町」の意味ではないかといわれている。正保(1645~1648年)・慶安(1648~1651年)年間から臨済宗蔭涼山済松寺の寺地であったが、1745(延享2)年、町奉行支配となる。1828(文政11)年の家数51軒(町方書上)。芝居小屋が建ち並び、賑わった(画報)。「凡そ十年前までは、此地に赤城、朝日、喜昇の三小劇場ありて熱鬧の巷なりしも今や往年の俤なく、赤城座の跡には聖巴拿巴会堂、建設せられ、又朝日座の跡は勝田といえる材木商となりぬ。其他概ね町屋なり」(画報)。
1872(明治5)年、牛込築地片町と小日向馬場先片町が、牛込水道町の南部、近隣の武家地を併合して起立。同年の戸数57・人口215(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1989(平成元)年11月6日、住居表示の実施により、一部(道路のみ)を水道町と西五軒町のそれぞれに編入。
撮影場所:牛込築地町
撮影地:新宿区築地町13番地(赤城印刷)