【牛込①054】牛込矢来町
町番号:牛込①054
町名:牛込矢来町
読み方:うしごめやらいちょう Ushigome-Yaraichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年7月
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区矢来町
概要:古くは豊島郡野方領牛込村に属した。「矢来」とは竹矢来のことで、竹棒を斜めに交差させて作る柵である。1628(寛永5)年、若狭小浜藩酒井讃岐守忠勝が下屋敷を頂戴したとき敷地の周囲に土手を築き表門から東に42間(83m)、西に263間半(500m)をとりあえず「竹矢来」とした。1639(寛永16)年、江戸城本丸の火災で徳川家光が当屋敷に避難した際、竹矢来周りを御家人が抜身の槍で終夜厳重警戒した。爾来、酒井家では、このことを永久に記念して築地塀に改めなかったので、屋敷前(早稲田通り)の一帯を俗称「矢来下」といった。早稲田通りから南が酒井邸で竹矢来はほぼ通りに面してあったという。
このうちに鳴け時鳥矢来町(尾崎紅葉)
1872(明治5)年7月、小浜藩酒井家下屋敷跡地に越後黒川藩柳沢家上屋敷、西丸御先手組と御持筒組の大縄地を編入し、俗称「矢来下」から牛込矢来町を起立。同年の戸数156・人口697(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「神楽坂の大通は東、通寺町より来り、西、天神町に連絡すべく町内を貫きたり。通寺町に接するの地は、商賈店を開く、(中略)纔かに市廛の形をなせる外、悉く板塀、生垣、門構への邸宅なり」(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1989(平成元)年11月6日、住居表示の実施により、一部(道路のみ)を赤城元町に移譲。
撮影場所:牛込矢来町