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Violinist 蓑田真理 Official Web Site

音坊主 2017年東京公演 動画&プログラム メシアン

2017.12.07 12:16

オリヴィエ・メシアン:「世の終わりのための四重奏曲」

Olivier Messiaen : “Quatuor pour la fin du Temps”

 オリヴィエ・メシアン(1908~1992)は、20世紀半ば以降のフランスを代表する作曲家・オルガニスト・ピアニストとして、ヨーロッパの近現代音楽史を牽引した巨匠である。自身の母校であるパリ音楽院の和声科・音楽美学科・楽曲分析科・作曲科の教授として、ブーレーズやシュトックハウゼン、クセナキス、ミュライユ、グリゼイといった数多くの作曲家や、後に彼の妻となるイヴォンヌ・ロリオをはじめとする多彩な演奏家を育てた優れた教育者としても知られている。その音楽は、神秘主義的なカトリック信仰に基づき、共感覚(メシアンの場合、音を聴くと色彩が見える)によるとされる独特な色彩感と、インド音楽のターラやギリシャ詩の韻律などの研究をベースに精緻に織り上げられた複雑なリズム語法によって特徴づけられる。鳥類学者として世界各地で鳥の囀りを書き取り、作品の多くにそれらを登場させたことでも有名である。

 <世の終わりのための四重奏曲>は、第2次世界大戦中に従軍したメシアンがドイツ軍の捕虜として捉えられていたドイツ・ポーランド国境付近の第8A捕虜収容所において作曲され、作曲者自身のピアノと、同じく捕虜になっていた3人の演奏家  作品の編成は戦渦による偶然の出会いの産物である  によって1941年1月15日に収容所内第27兵舎において初演された作品である。原題では「 la fin du temps = 時の終わり」であるが、これは過去から未来へと続く時間の終焉、つまり”永遠”の始まりを意味している。

 スコアの冒頭に記された作曲者自身の解説では、作品の直接的なインスピレーションの元として新約聖書の「ヨハネの黙示録」第10章から「私は力に満ちた御使(天使)が雲に包まれ、頭に虹を戴き、空から降りてくるのを見た。その顔は太陽のようで、その足は焔の柱のようであった。彼は右足を海上に、左足を地上に置き、海と地の上に立っていて、その手を天に向って挙げ、時を超えて生きておられる方にかけて誓った。『もはや“時”は存在しなくなるであろう。第7の御使が吹くラッパの日には、神の奥義が成就する。』」という箇所が引用されている。この長大な作品は8つの楽章より成っているが、メシアンは8という数について「7は完全な数であり、天地創造の6日間は神の安息日によって聖別され、この休息の7は永遠の中へと延長されて不滅の光、不変の平安の8となるのである」と述べている。

 各楽章の内容は以下の通り。

第1楽章<水晶の典礼> 

 チェロが2つの非可逆リズム(回文のような構造を持つリズム・パターン)から成る15音のリズム・ペダルを、全音音階を用いた5音の反復によってハーモニクスの音色で奏でる一方、ピアノは17個の音価から成るリズム・ペダルを、29個の和音群の反復によって響かせる。旋律や和音の反復単位とリズムの反復単位が互いに独立している様は、前述のように14世紀の作曲家マショーのイソリズム技法を思わせるものがあるが、チェロとピアノがこうして複雑な時の層を織り成し”宙づりにされた時間”の感覚を生みだす中、クラリネットとヴァイオリンがツグミ(クロウタドリ)やナイチンゲールの目覚めの歌を歌う。メシアンはこの音の情景を「天国における調和のとれた静寂」と形容している。

第2楽章<時の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ> 

 先に引用した黙示録に登場する御使の力強さを表わすというフォルティッシモの導入部の後、弱音器をつけた弦楽器が移調の限られた旋法第3番を用いて書かれた聖歌風の旋律を2オクターヴのユニゾンで清らかに歌い上げる。遠くより響いてくるカリヨンのごとき音色で弦楽器の旋律を包み込むピアノは、メシアンによれば「ブルー・オレンジの和音群による柔らかな滝」とのこと。最後に、導入部の後半7小節が上下反転した形で短く回想されて楽章を締めくくる。

3)<鳥たちの深淵> 

 クラリネット・ソロの楽章で、メシアンは捕虜となる前にヴェルダン近郊の要塞で出会ったクラリネット奏者アコカのためにこれを書き始め、共にドイツ軍に捕らえて移送される途中の野営地で試演されたという経緯がある。移調の限られた旋法第2番によって書かれたメシアン好みのM字形音型に始まる陰鬱なモノローグ(深淵)の後、大きなクレッシェンドを伴うホ音のロング・トーンを機に、一転して活発な鳥の囀りによる中間部となる。やがて冒頭モティーフの7音に由来するアーチ状の音型とそのエコーが聞かれると音楽は徐々に静まり、モノローグがオクターヴ下の最低音域で再帰する。メシアンはこの楽章のタイトルに関して「深淵、それは、悲しみと倦怠に満ちた“時”である。鳥たち、それは”時”の対立物であり、光や星、虹、そして喜びに溢れたヴォカリーズへの、我々の希求である」と形而上学的見解を述べている。

4)<間奏曲> ピアノを除く三重奏で、まだピアノが置かれていなかった収容所で演奏することを念頭に、始めに書かれたのがこの楽章であったと伝えられている。メシアンには珍しく2/4拍子を終始保ち、軽快なタッチで書かれたスケルツォ的楽曲である。何度も回帰するユニゾン乃至はホモフォニックなルフランの間に、3種類のクープレ  鳥の囀りによるもの、長3和音の伴奏を背景に歌われる旋律が聞かれるもの、第6楽章の主題を予告するもの  が差し挟まれる。

5)<イエスの永遠性への称賛> チェロとピアノの二重奏で、1937年に作曲されたオンドマルトノ六重奏曲<美しき水の祭典>の第4楽章<水>の主要部分から編曲されたものである。「果てしなく遅く、恍惚として」という指示通り、という異常なまでに遅いテンポによって朗々と歌われるチェロの長大な旋律  数種の移調の限られた旋法によるが、殆どホ長調のように響く  は、メシアンによれば「『年月は尽きることはない』という御言葉の永遠性を、愛と畏敬の念をもって誉め称える」ものだという。ピアノの伴奏は単純極まる和音の連打にすぎないが、いかなる対位法も持たない”旋律と伴奏”のみという書法は20世紀の芸術音楽としては例外的な形態であり、メシアンの非凡な率直さを示すものである。作曲家は解説の中で、「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」という「ヨハネによる福音書」の有名な冒頭部分を引きつつ“御言葉としてのイエス”に捧げられたこの賛歌の思想を説いている。

6)<7つのトランペットのための狂乱の踊り> ここで4つの楽器が再び揃い、激烈なダンスを繰り広げる。終始ユニゾンで為される激しい動きは、黙示録で御使たちの吹き鳴らす7つのラッパ(様々な破局をもたらす6つと、神の奥義の成就を告げる最後の1つ)や、打ち鳴らされるゴングの響きを想像させるに充分な迫力に満ちている。冒頭より提示される主題旋律群は、添加価値(16分音符のような短い音価を、音符や付点もしくは休符の形でリズム細胞に適宜加える技法)による奇数リズムの多用や、移調の限られた旋法に特有の音調によって強烈な印象を結ぶ。曲中何度も回帰するこの主題旋律群が、第1部では多様な非可逆リズムを次々と繰り出すパッセージを間に挟み、第2部では主題自身のリズムが圧縮されつつというリズム細胞の様々な比率による拡大・縮小形の挿入によって何度も分断され、終盤の第3部では時間的にも空間的にも大きく拡大されて凄まじいフォルティッシモの雄叫びへと至る。この音楽をメシアンは「鳴り響く見事な花崗岩の、石質の音楽:鋼鉄の、緋色の憤激の巨大な塊の、凍りついた陶酔の、抑えがたい運動」と詩的に表現している。

7)<時の終わりを告げる御使のための虹の錯綜> ソナタ形式のように二つの主題を有する、楽曲中最も複雑な構成をもつ楽章。冒頭でチェロによって提示される旋律的な第1主題は、移調の限られた旋法第2番によるものだが、フレーズ毎に異なる長調の印象の間を揺れ動く。移調の限られた旋法が内包する”調性偏在性”を活用した好例といえよう。続いて4楽器がフォルテで提示するリズミックな第2主題は、第2楽章の導入部より抽出されたものである。その後は、第1主題の3つの変奏と第2主題に基づく2つの展開部が交替する形で進み、最後に第2主題が短く回想されて閉じられる。黙示録の御使が頭上に戴く虹は、メシアンの解釈では「平和と英知の、そして響き渡り光り輝くあらゆる振動の象徴」であるという。

8)<イエスの不滅性への称賛> 第5楽章と対を成す楽章で、1930年作曲のオルガン作品<二枚折絵>の第2部から、ヴァイオリンとピアノの二重奏にトランスクリプションされたものである。この楽章で称えられるのはイエスの人間としての側面であるとされる。第5楽章と同じく“永遠”を感じさせる極端に遅いテンポと、ホ長調を基調とする柔らかな響きに包まれて、ヴァイオリンの旋律は二度にわたってはるかな高みへと昇ってゆく。メシアンの言を借りればそれは「人がその神へと、神の子がその父へと、あがめられた被造物が天国へと向う上昇」に他ならない。ピアノの伴奏はここでも心臓の鼓動のような短長格リズムによるシンプルな和音の連打に終始するが、ハーモニーの精妙な変化がもたらす類い稀な美しさは、メシアンが、ラモーやフォーレ、ドビュッシーを生んだフランス音楽の伝統の継承者であることをはっきりと示しているといえよう。

解説 夏田昌和