ピアノの先生とのお話。
「楽譜を暗記してしまうことが
ピアノの練習だと思うと、その生徒は
必ずこの先も暗譜を続けてしまって
伸び代が限定されてしまいます。
小さい子のピアノのレッスンでは特に
そういうことが気にかかります。」
ということを伺い、ついつい
ー「勉強でも同じことですよ。」
と返答してしまったのが今日のことです。
こういう会話の前に、
”これはある程度覚えてしまって
指の動きを覚えこませることが必要”という
会話も数ヶ月前にあったりしまして、
そういう点にも共通点があるように思いました。
たくさんの問題を前に、解き方を
覚えようとしてしまうことは、
自分の経験の中にもありました。
そして、そういう問題はなぜか模試になれば
捻られるとできなかったり、聞き方が変わると
答えられなかったり、そういうことがあったな、と
成績が最も低迷した時期を
思い返していました。
実力を超えたものを焦って習得しようとすると、
どうしても自分の頭に覚えこませようと必死になり、
考えるということが疎かになってしまいます。
一方で、ある程度実力を身につけた段階では、
高い次元のものを一旦”暗記して”自分のものとし、
出来るようになったけどこれは一体・・・?と
考えるという頭の動きが必要になることもあります。
これは、学習における”スピードアップ”の秘訣でもあります。
強引に一定のパターンを教えんでしまうくらいの
難問にぶち当たらないと漫然としてしまうのも、
上位層の指導あるあるだと言えます。
しかし、それ一辺倒では途中でつまずきが
生じ始めるというのも確かなことです。
頭がいいのに物足りない場合は、飛躍の機会としての
難問の暗記が足りない。強引に相手にできないものに
出会わせるべきです。
頭が足りていなくて時間ばかりがかかる場合は、
基本トレーニング以前の理解が足りない。
必要なトレーニングは実際は人の習得度合いによって
実に多種多様であります。
特に、後者の場合はちゃんと基礎トレをやる以前の理解を
授けてあげて、スピードアップをしていくときに
ちゃんと頭を使ってやっているかの査定が必要です。
私は、先に述べたどちらのパターンにしても、
指導の手が一つ加わる必要があると思います。
それは私のような職業のものであってもいいし、
親御さんであっても構いません。
学校の先生に相談するのも手でしょう。
相手がどの次元にいて何を必要としているのかが
分かっている限りにおいて、です。
人は、一人で学ぶと視野が狭くなりがちです。
子どもにいかに自主性があろうと、
他者の視点が入らないようではどこか漫然として
拠り所のない感覚に陥るものです。
稀に、すごい才能があって、
そんな常識的なことを跳ね飛ばすような
人もいるようにも思えますが、
そういう子は具体的な人間とは別に
やはり拠り所とするものがあって、
似たような論理で成り立っているようにも思えるのです。