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「アイデンティティー」という名の迷宮

2017.12.07 18:35


どうも、みのしまです(^-^)ニッコリ



人間には底無しの欲望が宿っています。


自らの生存に必要不可欠な食欲

未来永劫の種へと繋ぐ性欲

持続可能な経済社会への参与のための金銭欲

そして承認欲。


これらは人間の本能レベルのシステムに根ざし

逃れることのできない

強力な「煩悩」であります。


いくら仏教の祖師とてこの理を真っ向から否定することはできず

その存在を享受しています。否、享受せざるを得ないのです。


欲とは生きること。


俗世にまみれることは「煩悩」の世に身を投じること。


私はこの教えが世に広まった時勢の中、当然この世にいませんでした。

この世界が成熟するはるか昔、


人々は宗教の名の下、

生きる意義

そして死ぬ意味について

果てのない考察を重ねてきました。


ある始祖はこう言います。

「愚世の本質は苦行の世界だ。故に自ら真理を希求せよ。」


またある始祖はこう言います。

「この世界は愛に満ちています。祈りましょう。さすれば真理は迎えに訪れます。」



・・・

一見すると相反するこの両者の教え、

実は広い視座でとらえた時、

ひとつの重なるものがあるのです。


それは。


「己」を再定義することではっきり輪郭が見えてきます。


みなさんは自己紹介が得意ですか?

わたしは超がつくほど苦手です。

ほとんどの方は自分を他者に紹介するとき

己の「属性」を答えるでしょう。


○○出身の○○です

○○の一代です

○○が得意です。


これは「他者の概念」がないと存在できないものであり、

「純粋な自己」を示す材料にはなり得ないということです。



つまり。


我々はその存在意義を他者に依存して

はじめて「自らの生」を立証できるということ。


人間は

「他者と繋がった」個体。


先ほどの両者の教えでいうと


自ら真理へ進もうが

真理の歓迎を待とうが


「誰か」の存在なしには「自己」を語れません。


・・・


あなたはなにかの窮地に陥ったとき

素直に


「助けて」


と言えますか?

その言葉に恥じらいを感じますか?


私はというと、これまで数え切れない恩に恵まれてきたにも関わらず

その恩に恥じてきたように思うのです。

その恩を返せなかった自分。


「己」とは一人ではなーーーーーんにもできない雑魚であると。

粋がれば粋がるほど無様であると。

素直に「助けて」と言えたとき。

はじめて「己」が存在意義を帯びるではないでしょうか。



自己とは繋がりだから。



ではでは

みのしまでした(・∀・)ニッコリ



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