2022年4月9日
祠、慰霊碑、仏像、仏壇、神棚などを処分したり、放置することで、何かしらの災いがある・・・
そういう話を聞いて、納得する人もいれば、全く信じない人もいます。
納得するから災いがないというわけではなく、信じないから災いがあるというわけでもありません。
第一、同じ状況にあっても、災いのある人とない人の分かれたりするのですから、問題は信じる・信じないではないのです。
先に挙げたような祠や慰霊碑などは、人が手を合わせる対象物です。
誰かが信じて手を合わせてきたものに対して、その人が亡くなった後にどう扱うのかがポイントになります。
信じようと信じまいと、それらに懸命に手を合わせてきた人がいた、ということは事実なのです。
それに対して、ゴミとして捨ててもいいだろうとか、邪魔だから壊してしまおうなど軽視した自分を見られているのです。
見られている、それはそれぞれの魂が見ているのです。
ですから、人によって災いがあったり、なかったりして当然なのです。
人が手を合わせてきた対象物、これにまつわる悲惨な話は実にたくさんあります。
処分してはいけない、放置していけないとは言いませんが、人によっては正しく行わなければ許されない人もいるのです。
そして、そういう人にとって、これが始まりであり、災いは大きく膨らんでいく傾向があるのです。(生死に関わるまでに・・・)
何かを信仰することは素晴らしい事です。
しかし、自分の後にそれを続ける者がいない場合は、自分が生きている間に正しい形で処分しておくことです。
自分にとっては手を合わせる対象物であったとしても、後に続く者にそれを強制することはできないのですから。
そして、何かを受け継いでいる方は、自分も続けていくか、正しき形で処分することです。
放置しても、問題は解決しませんから。
災いは己の心のあり方への苦言である可能性が高いのです。