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No.613「自家製焼き菓子販売再開」「経験則だけでなく」「マ・ティーダさんのこと」

2021.05.29 07:36

2021.05.29.No.613

オートミールクッキー  レーズンスコーン

「 自家製焼き菓子販売再開 」

なな.

  実はしばらく菓子製造の許可がなかった。飲食営業の許可はもちろんあって、お菓子やケーキを作って食べてもらうのは全くオッケーなのだが(会員制のお水のお客様に販売は可)、これからは店頭で販売しても卸をしても良いことになる。 

 世田谷店で菓子製造許可をとっていたので申請しなかった。茅ヶ崎ではもう一つ専用厨房が必要なため工事もしなければならず、二の足を踏んでいたのだがやっと念願がかなった。世田谷閉店後しばらく販売を休んでいた焼き菓子類が店に並ぶ。ファンもできていたので休むのが残念だったが、またお客様の笑顔に会えるのが楽しみだ。 

 商品棚を少し空けて。オートミールクッキーと酒粕クラッカーを並べた。レジ横にもスコーンを置くスペースを作った。オートミールクッキーがびっくりするくらいよく動く。美味しかったと感想をいただく。嬉しい。来週からスコーンも販売予定だ。ケーキのテイクアウトも大威張りでお受けできる。ケーキのテイクアウトが増えるだろう。箱も考えなくては。 

 量り売りをしていると、容器を持参してくれるサスティナブルな意識の高いお客様が増えてきたのがよくわかる。チョットした手間や意識で、地球全体を考えた行動を選択することができる。食べることは生きること。食べ物を選ぶことは生き方を選ぶこと。そして、買物は投票なのだ。    


「 経験則だけではなく 」       

高 志  

 まだ学生だったころ、日焼けと言えば夏のことだと思っていた。夏休みが終わり、9月の新学期が始まると、真っ黒に日焼けした肌の皮がむけ始め、ピリピリと剥がしている姿を今でも思いだせる。その頃はこぞって日焼けしたものだが、昨今では、そんな事はひと昔も、ふた昔も前のことになってしまった。

 科学の発達とともに、日焼けの原因となる紫外線量は夏本番となる7、8月よりも、今である5、6月の方が多いことが常識となっている。知識としてはわかっているつもりでも、どこかに昔の記憶が邪魔をしているのだろう。ついつい日焼け対策などおざなりにしてしまった。 

 末っ子である進の野球の試合が、5月の下旬にあった。万が一にでも勝ち進めば、全国大会へとつながる最後の大会であり、中学3年生としては集大成ともなる大会であるため、意気込んで応援に出かけた。 

 今年は早すぎる梅雨前線の北上のため東海地方まで梅雨入りし、関東もすぐに梅雨入りが発表されるだろうと言われていた間での晴れ間であったので、それも油断した一因であった。 

 朝方は厚い雲の間から晴れ間が覗く程度であったのだが、試合が始まる午前11時頃には燦々と陽射しが降り注ぐようになった。 もちろん試合が始まってしまえば、陽射しのことなど頭から吹っ飛んでしまう。自分が日焼けをしていると実感したのは試合が終わり、帰路についた夕方になってからだった。 

 肌を露出していたのは、首から頭部にかけてと両腕の肘から先であったのだが、家に帰ってそれらが真っ赤になっているのに気が付いた。普段から露出している部分ばかりであっても、昨今の紫外線は半端なく強烈なようだ。次第に額部分だけが皮が厚くなったように感じ、痛みを伴うようになってきた。

 そして翌日のことである。早くも皮がむけ始めた。あの学生の頃のように、大きな皮がピリピリと剥がれるような日焼けは、いったいいつ以来のことだろう。お水採りにしろ、配達にしろ強烈な陽射しにさらされるのは日常茶飯事であり、なぜに今回だけこれほど日焼けしたのか、まさに摩訶不思議なのではあるが、それほど今年の紫外線は強いということか。

 地球温暖化が深刻に取りざたされており、その主たる原因は二酸化炭素の急増だと言われている。その中でも、近年太陽の活動が活発化しており、それが温暖化の原因だと主張している研究者も少なくない。近い将来、人類は地表には住めず、地下に移住するしかないと訴える研究者もいるほどだ。 

 まあ、研究者の言うことが全て正しい訳でもなく、僕たちが生きている間にそれが立証されるかは定かではないのだが、実感としてそういう現象が起きていることも、また確かなことである。

 痛痒くなった額をいじりながら、夜の森のバスで本を読んでいると、村内放送でクマの目撃情報が多発しているため、1人で山へ入るのは避けるように勧告された。水の里において、秋のキノコシーズンにクマの目撃情報が出ることはあっても、山菜シーズンに出されることは無かった。

 自然の変化に敏感なクマが、何かを感じ取って今までと違った行動を取り出しているのだろうか。出来ることなら、聞いてみたいものだ。

 お水採りからの帰り途中、良く行く温泉に寄って日焼けした肌を癒そうと試みた。温泉に浸すと少しヒリヒリとしたが、じきにそれも収まった。

 自然の変化に抗うことは出来ない。もうすでに九州では被害が出ているように、今までのような梅雨における雨の降り方ではなく、災害をもたらす降り方に変わってきている。過去の経験則に頼るだけではなく、それをも上回ることを想像する力が必要とされているようだ。


 「 マ・ティーダさんのこと 」     

マナ

 私はテレビを持っていない。観たい番組があったら、実家で録画させてもらっている。

 教育テレビの「こころの時代」を毎回予約している。HDDがいっぱいになったら、あわてて観たり、題名だけ見て削除したりしている。 中学生の時にラジオの「基礎英語」を録音していて、溜めるだけ溜めて、結局聴かなかった。口実で親に買ってもらったラジカセで、音楽ばっかり録音していた。

 実家で、予約録画しているものを整理していると、気が重たくなってきた。 

 録画するというのもどうだろうかと最近思い始めてきた。自分にとって必要な情報は、必要なときに入ってくると思う。でなければ、縁がないということだ。

 そんな中、録画番組を観ていると、マ・ティーダさんという、ミャンマーの医師であり、作家で活動家の女性の回に当たった。知らない人だし、あまり興味がなかった。流すつもりで観ていると、引き込まれていった。 マ・ティーダさんは、医大生のときにアウンサン・スー・チーさんに出会い、秘書になった。

 ある日、家に警察がきて部屋の本とかを調べられて、逮捕されて投獄された。スー・チーさんは軟禁された。マ・ティーダさんは懲役20年の刑を言い渡された。27才だった。

 刑務所での生活は、夕方15分間、外に出られるだけであとは独房の中だった。ここからが彼女のすごいところで、これをチャンスと思い1日20時間瞑想した。元々、ヴィッパサナー瞑想をしていたが、自分の時間をすべて瞑想に使い、自分の感覚に向き合った。

 ある日、看守の人がやってきた「あなたの体は囚われているけど、心は自由だ。私は、体は自由だけど、心は国家や軍に囚われている」と言った。

 その話をしているマ・ティーダさんが穏やかで、ユーモアにあふれているので、驚いた。 瞑想は今を生きるということに尽きる。過去や未来を考えず、一瞬一瞬をそこに意識があるということだ。投獄された怒りや懲役20年という絶望や、それどころか生命の保障もない恐怖に乗っ取られず、心の平穏を保ち続けた。刑務所での生活は、6年半に及んだ。 マ・ティーダさんは「あの6年半が今の私を作った」とも言う。 

 日々、良いことだけを受け取ろう、感じようと思って、祈っている私には、彼女の姿は具体的な希望だ。

 自分の外側がどうであれ、自分は何を感じるかは自分が選び取れる。とらわれない心。

 これが自由だ。