外界から全く刺激を受けない状態が脳にどのような影響を与えるのか?「感覚遮断」にまつわる10のこと
http://karapaia.com/archives/52195820.html より
「沈黙は金」…まさにその通りだ。何もかもを締め出して、静けさと平穏の中でリラックスしたいと思わせる状況が世の中には多すぎる。だが、静寂が常に期待通りであるとは限らない。 あまりに静かすぎると人は気が狂うこともあるという。完全なる静寂の中にいると臓器が動く音が聞こえ始め、45分も経過した頃には幻覚が見えてくる。静寂やその象を引き起こす。それどころか、地球に対しても困ったことを起こすのだ。10. 完全な闇の中でも見ることができる
ここで言っているのは、平均的な夜の暗さではなく、完全な、絶対的な闇のことだ。最も暗い夜でも、普通は何らかの周辺光がある。停電になったとしても、宇宙から届く光がある。だが、米ロチェスター大学の研究者は、絶対的な闇の中でも、人間は見えていると考えることを発見した。眼球の動きを計測するセンサーを身につけた人を完全な闇の中に置くと、およそ半分の人が闇の中で実際に見ることができた。あるいは、少なくともそのように考えていた。実験では、2グループの被験者に目隠しを装着してもらった。このとき、一方のグループには若干の光を通すと告げ、他方には何も見えないと告げておいた。実際にはどちらの目隠しも完全に光を遮断するものだ。そして、彼らは顔の前で手を振るように指示され、コンピューターでその目の動きを測定した。被験者のおよそ半分が中断したり、出遅れることなく、手の動きを追視することができた。これは彼らの目が、実際に何かに注目していることを示唆している。その原因は、脳の働きと視覚中枢が繋がっていることだ。脳が何かが起きていると了解していれば、脳の視覚中枢の反応を起こすには十分なのだ。これを”自己充足的予言”という。脳が見えると予測することと目が実際に見ていることの関連性は、色の匂いを嗅ぐといった、共感覚という感覚的反応を解明する手がかりとなるかもしれない。
闇とは、宇宙のはじまり以来我々の周囲に広がっているものであるが、地球上で真の闇を知ることができる場所は限られている。国際ダークスカイ協会は、光害を監視し地球上の闇の程度を調査している。彼らが最も暗いと判断した場所は、国際ダークスカイ・プレイスに認定される。光に関して、人間を取り巻く状況は感覚遮断ではなく、感覚過負荷とでも言うべきものだ。光害はいたるところに存在し、大きな問題となっている。人体や動物の概日リズムを阻害し、それ単体でも生態系に影響を与える。それでは、人工光を完全に遮断し、光害から逃れるにはどこに行けばいいのだろうか? ダークスカイ・パークやリザーブ(保護区)なら、汚染されていない闇の空の下で息を呑むような星空を観測できるだろう。アイルランドのアイベラ半島にあるダークスカイ・リザーブ(区分:ゴールド)、アフリカのナミブランド・ダークスカイ・リザーブ(ゴールド)、ドイツ東北部のヴェスターヴェラント自然公園(シルバー)などがお勧めだ。スコットランドのコル島のように闇をさらに深めようというコミュニティもある。暗闇の保存と言うと、奇妙に聞こえるかもしれないが、これはユネスコの世界遺産委員会も参加し始めていることだ。ごく最近まで光害が問題視されたことはなかった。しかし、世代が進むにつれて、完全な闇を体験出来る場所が少なくなってきた。都市の上に広がるはずの夜空は、人が生きているうちに決して見ることのないものだ。だからこそ、祖先が目にしたものと同じ闇を保存するための努力が払われている。
では、地球で最も静かな場所はどうだろうか? 真の静寂とは単に話し声が聞こえないということではない。コンピューターの動作音が届かず、交通もなく、最も逃れることが難しい飛行機の騒音もない場所だ。そこでは、人間が音として認識しないような微かな音ですら聴覚によって検出され、耳鳴りとなって聞こえる。防音室で人工的な静寂を作り出すこともできるが、これは世界に存在する静寂に包まれた場所とは異なる。ニュージーランド、オークランド大学のある研究者が、南極に滞在し、数キロの範囲に自分以外生きているものが何も存在しなかったときの体験を書き記している。それは、実験室の静寂とはまるで違う静けさで、体験してみなければ分からない類のものだったという。しかし、南極でさえも、基地や気象観測機器、ボートがノイズを発生させている。サハラ沙漠や北極、シベリアなどの僻地ですら飛行機が定期的に飛行しているのだ。ある生態学者は人間が作り出した音に冒されていない場所を求めて、文明から1900km離れたアマゾンの熱帯雨林に分け入った。それでも、飛行機の音が届いてきたのだ。一般的なコンセンサスとしては、地球上に人為的な音が定期的に響かない場所は存在しない。イングランド最北東端のノーサンバーランドのような場所でもそうなのだ。そのため、全くの静寂に包まれた場所を探す試みは頓挫している。人が何にも煩わされることのない場所はもはやない。
7. ずっとしゃべらないでいると脳を萎縮する可能性
一切話すことを止めてしまうとどうなるのだろうか? 喋れなくなる症状があるが、一言も話さないと誓いを立てることとは完全に別の話だ。科学のためにそんな誓いを立てた人間はいない。だが、理論は存在し、これが非常に面白い。ある説によれば、何も起こらない。喋るときに使われる筋肉は、呼吸や咳払いなど、多くのことに使われているからだ。これは長期間昏睡状態に陥っていた患者でも、目が覚めれば会話できるという事実によって裏付けられている。だが、声帯が萎縮する以外にも、取り返しのつかない結果が待ち受けている可能性もある。米ニューヨーク大学では、声帯の維持に会話は必要ないかもしれないが、脳を萎縮から守るためには必要なのではないかと考えている。脳の特定の領域は、使用する頻度に応じて強化されるからだ。例えば、プロのミュージシャンの音楽を司る領域は大きく、素人ならば小さい。会話を処理するニューロンが使用されなくなれば、他の領域に開け渡されるだろう。部分的には会話を聞く機能を司る領域によって駄目になるかもしれない。このことは長期間盲目であった人が発達させる脳構造や鋭い聴覚によって裏付けられている。脳は柔軟であるがゆえに、会話の入力がなくなれば、その領域を縮めてしまうかもしれないということだ。
6. 恐怖のレニングラード・メトロノームとは?
1941年、ナチス軍がレニングラードを制圧した。彼らの占領は872日間続き、およそ100万人が死亡した。戦闘や爆撃で命を落とした者もいれば、飢えて死んだ者もいる。 街の状況は、水で満たされたタンクとはまた違う感覚遮断的状況であった。寒さと飢えで、人々はさらに凍え、多くの公共施設が閉鎖された。電車は止まり、雪が通りに降り積もる。水道管は凍りついて、破裂した。粗末な暖房しかない部屋は冷え切って墓地のようであり、遺体や排泄物が表にあふれた。生き延びた人は、絶望的な孤立状況に取り残された。伝統的な社会的役割やアイデンティティとともに、性別の差さえ薄れてしまった。 人との接触や日常生活からの隔離状態は、日に日に悪化していった。そして、大勢がラジオの音にすがるようになる。占領下ではラジオ放送がどんどん困難になっていったのだが、それでも死にゆく静寂の都市を満たす音があったのだ。それが、メトロノームだ。 レニングラードのメトロノームは、大過がないときはゆっくりとリズムを刻み続けた。人々がまるで心臓の鼓動のように響く音に耳を傾けた理由は、孤独、飢え、苦痛、死といった状況に苛まれながらも、まだ自分以外にも人が生きていることを思い出させてくれたからだ。襲撃が迫ったときには、メトロノームの速さは2倍になった。元の1分で50回というテンポに戻ると、それは極限状態でも独りではないとことを教えてくれる、狂おしい抵抗の音となった。
感覚遮断を極限まで高めるうえでの問題の1つは倫理に関することだ。発狂するリスクの下限はどこにあるのか、そして心は無からどこまで回復できるのか? アメリカの脳科学者ジョン・C・リリーが実験を開始したのは1954年のことだ。彼はイルカとのコミュニケーションを研究した人物で、アイソレーション・タンクの開発者としても知られている。 そのオリジナルは現在のものとは少々異なっており、恐ろしげな暗幕マスクをかぶり、どっぷりと水に浸からなけらばならない。マスクは徐々に改良され、厳しさは消えたが、リリーの主張がする体験は実に奇妙なものだ。 リリーによれば、完全に感覚を遮断することで、別次元の生物とコンタクトすることができた。タンクは一種の扉として機能し、肉体を離れて精神だけの状態となり、彼を地球の代理人と見なす存在に出会ったという。この異世界の存在を管理するのは地球偶然統制局(ECCO)という組織であり、タンクに入るたびに彼らとコンタクトを図ることができた。 感覚遮断と体外離脱は、まったく別の現実への扉を開いた。もちろん、これは彼が実験にLSDやケタミンを利用した先駆者であったことと関係があるだろう。これらを服用した結果、変性意識の状態になり、イルカと感応し、床の下に地球の裏側で瞬く星々を見ることができたのだ。
4. 退屈の本質的な不思議
感覚遮断とは、外部からの刺激がない状態をいうが、退屈とは興味を引く外部からの刺激がない状態をいう。そして、これもまた、複雑怪奇なものであることが判明している。 一部の人は他の人よりも退屈しやすい。そして、一般的に、女性よりも男性の方が退屈しがちだ。退屈さの度合いを計測する方法はいくつか考案されているが、どれも批判がある。それでも、退屈という現象の研究者は、慢性的に退屈する人と脳の外傷を患う人には類似点があることを発見した。 脳外傷を負った患者を研究するある研究者が必ず尋ねることの1つに、「退屈か?」という質問があった。すると、全員が「はい」と答えた。こうした患者の脳内で見受けられる高レベルのエンドルフィンが、楽しいという感覚の閾値を上げているのではないか、とこの研究者は指摘する。つまり脳を幸せにするには、より多くの刺激が必要となるのだ。こうした所見は、アルコールや薬物依存症、あるいはギャンブル癖といった危険な習慣を克服するためのヒントになるかもしれない。 退屈しがちな人は、退屈をしのぐための新しい方法を常に探している。これが危険な行動につながることもある。慢性的に退屈している人の脳を調べることで、依存症の理解も進むかもしれない。例えば、根本原因がエンドルフィン濃度の高まりであり、それが楽しむために危険な行為へと駆り立てるのならば、同じ程度の楽しみを得るためにより大きなリスクを取ろうするプレッシャーを軽減する方法を探し出せばよい。 また、退屈するほどに、健康状態が悪化するという証拠もある。1985年、イギリスの研究者が公務員の退屈レベルを調査した。数十年後に、退屈と健康と若死の間に相関関係があるかどうか確認したところ、外部の刺激が楽しませてくれるだけでなく、生きるうえでも重要であることが判明した。
3. 味覚と嗅覚の喪失
味や匂いを感じられなくなったときの影響は、感覚遮断の分野でもほとんど研究が進んでいない。こうした症状が非常に多いことを考えれば驚くべきことだろう。イギリスでは約5%の人が嗅覚の異常で苦しんでいるという報告もあるほどだ。無臭覚症は、普通の人なら風邪を引いたときに体験する状態で、前頭葉の損傷や鼻腔内のポリープを原因とする。 匂いや味を感じられない人の多くが、孤独や孤立感を味わっている。鬱になる人も多い。友人や家族と食事やお酒の味を共有できないのだから、その寂しさは察するに余りある。 匂いを感じられないことによる健康リスクもある。有害なガスや煙、腐った食材などの臭いを感じ取れないからだ。また、嗅覚は他人との絆を育むうえでの重要な要素でもある。好みの香水やコロン、誕生日のバラの香りなどは、こうした記憶を留める作用がある。人生は様々な次元で成り立っているのだ。 しかし、90%以上の人が治療によってこの症状を治せることも不思議である。だが、嗅覚の喪失は、失明や難聴に比べれば重要度が下がるといった事情もあり、見過ごされがちだ。
2. 眼帯せん妄
ある特殊な感覚遮断によってもたらされる奇妙な症状がある。その名も “眼帯せん妄(black patch delirium)”で、1958年にエイブリィ・ワイズマンとトーマス・ポール・ハケットJrによって命名された。これは、目の手術を受け、眼帯を着用している以外は健康な人に見られる精神状態だ。幻覚を主な症状とし、シャルル・ボネ症候群に似ている。 シャルル・ボネ症候群は1760年に、スイスの哲学者シャルル・ボネによって初めて記述された。彼は、ほとんど目が見えなかったにもかかわらず、人や動物などの複雑な幻覚を目にしていた。それ以外は健康で、幻覚が現実ではないと理解できている点で、他の幻覚とは異なっていた。 眼帯せん妄は、眼帯による感覚遮断と、おそらくは手術の際の薬物との関連が疑われ、単なる幻覚ではなく、本格的なせん妄状態である。 今日でさえ、白内障などの手術を受ければ、回復まで明るい光や刺激を遮断する必要があるが、そうした術後の処置は眼帯せん妄を念頭に発達したものだ。
1. 子供時代に受けた感覚遮断の恐るべき影響
ネグレクトや感覚遮断が子供に深刻な影響を与えることは誰もが知っているが、その影響を調べるために類似した環境を人工的に作り出すことは倫理的に問題がある。だが、悲しいことに、世界に目を向ければそうした事例には事欠かない。2000年にハーバード大学とメリーランド大学の研究者が実施したルーマニアの孤児や棄児136人を対象とした調査も、そうした事例ゆえに可能となったことだ。 チャウシェスク政権下では、ルーマニアの女性は多産が奨励されていた。そのために、15万人もの子供が設備の乏しい施設に預けられることになった。ここでは1人の介護士が25人のゆりかごに寝かされたままの乳児の面倒を見ていた。また、田舎ではベッドに結びつけておく施設もあった。赤ちゃんはその状態で数年を過ごしたのだ。 その結果は恐るべきものだった。研究者の1人、小児科医のチャールズ・ネルソンは施設に足を踏み入れたときに感じた、この世のものとは思えぬ静寂について語っている。ほとんどの乳児と子供は斜視で、何も見ていない。目の筋肉が発達していないのだ。 身体の成長も停滞していた。10代の子供であっても、せいぜい5歳か、6歳にしか見えなかった。感覚的刺激が与えられないと、成長ホルモンが出ない。また、知能の発達も遅れる。こうしたことは遺伝ではなく、環境が原因となって起きたことだ。 ネルソンらは、里親を募集して、子供時代のネグレクトによって受けた障害から回復させることが可能なのかどうか確認することにした。それから5年以上に渡って、施設の子供、養子に出された子供、肉親に育てられた子供のグループを追跡調査した。 その結果、施設から引き取られ、きちんと感覚刺激に暴露された場合、かなり早く回復することが判明したが、それも完全なものではなかった。また、子供が十分に若いことも必要だった。運動発達などの点ではすぐに追いつく子が多い一方、注意欠陥過活動性障害、脳活動の抑制、小頭などの発生率は依然として高かった。 ネルソンによれば、子供が生涯に渡って必要となる基本的なスキルを学習するには、決定的な年齢の上限があるという。若い頃に受けた感覚遮断の傷は一生治らないこともあるのだ。