シンガポール歴史散歩@Trengganu street
シンガポールのチャイナタウンの主要通りであるパゴダ、テンプル、スミス、サゴストリートの4つの通りと交わるトレンガヌ通りはシンガポールから数百キロ離れたマレーシアのトレンガヌ州にちなんで名付けられた通り。
戦前には日本街(Japanese street)としても知られていたそうで、と言うのも売春宿はチャイナタウン全体に幾つもあれど、日本の売春宿はトレンガヌ通りなどの一部の地域にしか集中していなかったから、この名前で呼ばれていたらしい。
以前に何かの記事で読んだはのは、インドシナ半島では早くから日本人売春婦(からゆきさん)の市場が形成され、日本人の人口の大半を彼女たちが占める様になったと。
そしてシンガポールの日本人街(今のブギスジャンクション)のマレー通りに日本人娼館が並んでいて、633人の娼婦が働いていたと記録が残っているらしい。
なので昔のマレー通りと、このトレンガヌ通りが日本人御用達の娼館がある通りだったのだろう。
彼女たちは、国の軍事キャンペーンの資金調達で支援もしていたらしい。
そして多くのクーリー(労働者)ハウスもトレンガヌ通りに作られ、これらの家では主に中国南部の農民たちが年季奉公の労働者として群がり、代理人や雇用主を探していたと言う。
スミスストリートとトレンガヌストリートの角には広東オペラのブロードウェイと見なされていた有名なLai Chun Yuenオペラハウスがあった(今はチャイナタウン コンプレックス)。
1940年以降Shaw兄弟に貸し出され、Sin Sengシアターに改名されたけれど、残念ながら第二次世界大戦中に爆弾によってひどく損傷してしまったそうだ。
とにかく、この通りもチャイナタウンの他の多くの通りと同様に、この地域に住んでいた初期の中国人移民にとって、アヘン、賭博場、売春宿など悪名高いレクリエーションの場だったのだ。
また、この通りは毎日屋台が並ぶ通りとしても知られていて、中でもゲテモノエキゾチックなスープや強壮剤が有名で、厚いセラミックの壷に入れられたカメ、ヘビ、フルーツコウモリ、トカゲを使って特別なスープを作っていた所もあったそう。
ストリートの屋台はチャイナタウン コンプレックスに移動するまで続いていたんだそう。
この通りにはシンガポールでは滅多に見かけない3階部分にベランダがある珍しいショップハウスがあった。