【小石川①014】小石川水道町
町番号:小石川①014
町名:小石川水道町
読み方:こいしかわすいどうちょう Koishikawa-Suidōchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年5月
廃止:存続 「水道」として
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区春日一・二丁目、水道一丁目
概要:1869(明治2)年5月、江戸期の小石川金杉水道町を改称して起立。一部は起立となった小石川金富町に編入となる。1872(明治5)年8月、紀伊田辺藩安藤氏上屋敷と安藤坂白堀与力組と呼ばれていた武家地を合併。同年の戸数181・人口657(府志料)。東側に安藤氏の屋敷があるために名付けられた「安藤坂」を中心とする地域で、安藤氏に拝領される以前、1658(万治元)年に定火消制発布の際に火消屋敷が置かれた所か。安藤邸内は年中霧がかかっていたので、「霧山」と呼ばれた。明治に入って安藤坂は改修され、幾分緩やかになったことが永井荷風の『伝通院』に書かれている。当町内には中島歌子の萩之舎があり、樋口一葉は15~22歳までこの歌塾に通った。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1886(明治19)年、小石川区役所が小石川金富町から移転。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1918(大正7)~1919(大正8)年に木造2階建ての庁舎に改築された。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、春日一・二丁目、水道一丁目に編入となった。
※『角川日本地名大辞典』には「同(昭和)39年現行の春日1~2丁目となる」とあるが、水道一丁目もである。
撮影場所:小石川水道町