【小石川①016】小石川表町
町番号:小石川①016
町名:小石川表町
読み方:こいしかわおもてちょう Koishikawa-Omotechō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年5月
廃止:1964(昭和39)年7月31日
冠称:1911(明治44)年まで4月30日「小石川」
現町名:文京区春日一・二丁目、小石川二・三丁目
概要:もとは小石川伝通院前表町。1869(明治2)年5月、勅願所となり、周辺の武家地、寺地を合併して「小石川表町」と改称。1872(明治5)年8月、小石川境町、小石川金杉水道町のうち表町と浄土宗無量山寿径寺伝通院境内を合併。同年の戸数183・人口643(府志料)。伝通院は家康の生母水野氏(お大の方)の菩提寺。1873(明治6)年、境内の開山堂に現在の文京区立礫川小学校の前身が創立。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1892(明治25)年、同じく境内に淑徳女学校(現在の淑徳SC中等部・高等部)が創立された。また、学寮跡には中国料理の偕楽園、西洋料理の西川等が建てられた。門前の交差点は小石川区内では春日町交差点に次ぐ要所である。明治40年代には大塚、水道橋、本郷三丁目を結ぶ路面電車(都電)が開通した。当町には小石川警察署、小石川郵便局、小石川区役所等の公共施設の他、哲学者井上哲次郎、小説家徳田秋声や幸田露伴等、多くの文人が居住していた。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、春日一・二丁目、小石川二・三丁目に編入となり消滅。なお、小石川伝通院前表町だった当時の町域は春日二丁目11・12、23・24番のうち。
撮影場所:小石川表町