【小石川①030】小石川戸崎町
町番号:小石川①030
町名:小石川戸崎町
読み方:こいしかわとさきちょう Koishikawa-Tosakichō
区分:町丁
起立:1656(明暦2)年
廃止:1964(昭和39)年7月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区小石川三・四丁目、白山二丁目
概要:江戸期には伝通院領戸崎町と御料所戸崎町の2つがあった。伝通院領戸崎町は1656(明暦2)年、小石川村伝通院領のうちに百姓町屋が許され、1745(延享2)年から町奉行支配となる。御料所戸崎町は弥次右衛門、半兵衛、七兵衛、清兵衛、五兵衛の5人と安閑寺、大雲寺他13人が小石川村の沼地を築き立てて住居したことに始まる。町名の由来について『備考』は「往古此辺一円沼川に有之(中略)故船の舳先白山御殿の方え向き居候故舳先町と唱候処、其後戸崎町と相唱申候由申伝に御座候」とある。町内には「極楽水御殿下」の俗称があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年5月、小石川祥雲寺門前、小石川喜運寺門前、小石川法伝寺門前、小石川安閑寺前町を合併。1872(明治5)年8月、華族河内邸址、付近の武家地と浄土宗薬王山能覚寺無量院、臨済宗天長山是照院、真宗大谷派瑞雲山念速寺等の寺地を合併。当時の戸数179・人口730(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1891(明治24)年3月、一部は起立となった白山御殿町に編入となる。明治30年代の町内には御法川工場、高見沢メリヤス工場、田島鉄工場等の工場が多数あった。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、小石川三・四丁目、白山二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:小石川戸崎町