【小石川①040】小石川西丸町
2017.12.09 03:34
町番号:小石川①040
町名:小石川西丸町
読み方:こいしかわにしまるちょう Koishikawa-Nishimaruchō
区分:町丁
起立:1891(明治24)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区千石一、四丁目
概要:古くは豊島郡戸田領巣鴨村の百姓地であった。1683(天和3)年、上地となった本所横堀の代地となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数84軒(町方書上)。富士講の隆盛の基礎を築いた身録は、1733(享保18)年に富士山に入定する以前は「伊兵衛」と名乗り、当町で油屋を営んでいた。入定後も人々の尊敬を受け、町内には身録井戸があった(備考)。
前身の巣鴨仲町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、旧御鉄砲組屋敷を合併(『文京区史』では「酒井日向守屋敷上地跡」とある)。同年の戸数64・人口313(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。当町は既に「巣鴨西丸町」とも呼ばれ、桑・茶の栽培が行われていた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1891(明治24)年、「小石川西丸町」と改称。町名は「巣鴨仲町」と称していた時代の俚俗名による。町内には百軒長屋があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、千石一、四丁目に編入となり消滅。
撮影場所:小石川西丸町