【本郷①018】湯島天神町
町番号:本郷①018
町名:湯島天神町 一~三丁目
読み方:ゆしまてんじんちょう Yushima-Tenjinchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1964(昭和39)年12月31日
冠称:「湯島」
現町名:文京区湯島二・三丁目
概要:もとは豊島郡峡田領湯島郷のうちの百姓地。前身の湯島天神門前町は、1614(慶長19)年、天神社地内に町屋が建てられた。はじめは寺社奉行支配、1664(寛文4)年から町奉行支配となる。男坂・女坂・中坂があり、坂上(上町)・坂下(下町・坂下町)の2ヶ所に町屋が分かれていた(備考)。化政期(1804~1830年)の家数579軒(町方書上)。町内の南西には御手洗があったと伝え、取り壊されてからも自然と水が出ていたという。湯島三組町との境には湯島天神の惣門である黒門があったので、1716(正徳6)年に焼失してからも、付近は「黒門」と俗称された(備考)。
湯島神社は、1355(文和4)年、湯島の郷民が霊夢によって古松の下に勧請したことに始まり、太田道灌が再興した。祭神は菅原道真。湯島の富籤は、谷中感応寺と目黒不動龍泉寺と並ぶ江戸の三富の1つで、元禄年間(1688~1704年)から1728(享保13)年まで毎月16日に行われた。境内の1862(文久2)年建設の奇縁氷人石には「たづぬる方」「おしふる方」と刻まれ、迷子さがしや尋ね人の目標となった。湯島神社は明治の小説家・泉鏡花の原作を劇化した『婦系図』の舞台としても知られる。当町は門前町のため、参拝客相手の茶屋・休憩所等が置かれ、それらが次第に岡場所となり、岡場所の繁栄が市街地としての発展を促した。
前身の湯島天神門前町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、湯島天神下宝性院門前を合併し、「湯島天神町」に改称。1872(明治5)年、湯島天神下同朋町の一部、湯島三組町の一部、小普請方手代屋敷その他の武家地を合併して一~三丁目を編成。町名は湯島天神社があることによる。同年の戸数730・人口3,069(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。明治30年代の町内には中国料理店龍鳳館、染物店大坂屋等があり、他に待合及び貸席業の小まつ屋、ときわ等があった。また、湯島公園芸妓会所が置かれ、当町を中心とした芸妓は「天神芸妓」と称されていた。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1965(昭和40)年1月1日、住居表示の実施により、現行の湯島二・三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:湯島天神町二丁目