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江戸町巡り

【本郷①025】駒込東片町

2017.12.09 13:05

町番号:本郷①025

町名:駒込東片町

読み方:こまごめひがしかたまち Komagome-Higashi-Katamachi

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1966(昭和41)年3月31日

冠称:「駒込」

現町名:文京区向丘一丁目、西片二丁目、本駒込一丁目

概要:古くは豊島郡駒込村のうち。昔は岩槻街道と中山道に沿って発達した宿駅で、駒込宿の名があった。寛永年間(1624~1644年)、村内は殆ど大名屋敷、武家屋敷や寺領となり、村民は中山道の東側に移った。片側町であったので「駒込片町」といった。中山道と日光御成道(旧岩槻街道)の東大農学部正門前の角に高崎屋商店があるが、宝暦年間(1751~1764年)の創業で酒屋があり(画報)、両替商を兼ねていた。

前身の駒込片町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、駒込徳性寺門前、九軒屋敷、駒込追分町の残地を併せ、中山道の東側にあるので「駒込東片町」と改称。駒込西片町との区別を付けるため、「東」を付けた。1872(明治5)年、曹洞宗金龍山大円寺、浄土宗光蓮山正念寺等の寺地を併合。中山道と岩槻街道との分岐点が追分に一里塚があった。

 ”くたびれた 奴が見つける 一里塚”(古川柳)

その分岐点に18世紀中頃まで、榎が植えられていた。界隈は「榎町」と俗称され、呉服商、小物商等が建ち並び、駒込や白山辺り唯一の商業地を形成していた。

1872(明治5)年の戸数355・人口1,757、物産に小倉帯、糸納豆、筆、足袋等があった(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。明治期から大正初期にかけての道路拡張に伴う土地買収価格は1坪53円で、区内でも高価な場所であった。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1964(昭和39)年8月1日に現行の向丘一丁目、西片二丁目に、残余は1966(昭和41)年4月1日に本駒込一丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「同(昭和)39年から現行の向丘1丁目・西片2丁目となる」とあるが間違い。

撮影場所:駒込東片町

撮影地:文京区向丘一丁目6番6号(鮨癸生川)

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