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江戸町巡り

【本郷①029】駒込追分町

2017.12.09 13:15

町番号:本郷①029

町名:駒込追分町

読み方:こまごめおいわけちょう Komagome-Oiwakechō

区分:町丁

起立:1618(元和4)年

廃止:1965(昭和40)年3月31日

冠称:「駒込」

現町名:文京区向丘一・二丁目

概要:もとは豊島郡駒込村の百姓地。1618(元和4)年、幕府の小人・中間の拝領町屋敷となった。町名は日光御成道と中山道の分岐点に位置することによる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数241軒(町方書上)。当町の高崎屋は宝暦年間(1751~1763年)開業の酒商で、寛政(1789~1801年)~天保期(1830~1844年)にかけて現金安売の商法によって財をなし、両替商も兼業、天保期には小網町に支店を出した(高崎屋のある追分は『大江戸今昔めぐり』では駒込追分町となっているが、明治期の地図では駒込東片町町域となっている)。その居宅は大名屋敷を凌ぐほどで、屋根瓦には江戸に出入りする人々の無事を祈って「今日無事」の文字が浮き彫りにされていた。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、駒込三ツ家町、駒込正行寺門前を合併。1872(明治5)年、幕府大番組屋敷、先手組屋敷跡等の武家地と浄土宗既成山願行寺、真宗大谷派興龍山西善寺等の寺地を編入。同年の戸数324・人口1,125(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。下宿営業が多数あった(画報)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1964(昭和39)年8月1日に向丘一丁目に、残余は1965(昭和40)年4月1日に向丘二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:駒込追分町

撮影地:文京区向丘一丁目12番5号(富岡ビル 中国料理馥苑)

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