【本郷①049】駒込神明町
町番号:本郷①049
町名:駒込神明町
読み方:こまごめしんめいちょう Komagome-Shimmeichō
区分:町丁
起立:1891(明治24)年
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:「駒込」
現町名:文京区本駒込三~五丁目
概要:もとは北豊島郡下駒込村のうち。1891(明治24)年、字神明原の大部分、本村、本村下、富士裏、丸山下の地を東京市に編入して起立。東京府東京市本郷区に所属。町名は神明社(現・天祖神社)の所在地であることから。同社は駒込の総鎮守で、天照大神を祀る。
富士神社は俗に「駒込富士」と呼ばれる。1189(文治5)年、源頼朝が奥羽征討の途中、夢にお告げを聞き探させたところ、大麻(伊勢神宮のお札)が掛かっていた。頼朝は喜び、ここに神明社を建てたという。古川柳(こせんりゅう)に「駒込は 一富士 二鷹 三茄子」という句がある。富士神社、鷹匠屋敷と富士裏の茄子という駒込名物が詠い込まれている。
なお、当町には慶長年間(1596~1615年)頃から代々続く駒込村名主の家があった。
1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。
「四谷大木戸よりも一年早く、大正十年に生れた新花街で、できた当時はまだ後ろは一面の田圃であつた、大震災の余慶も享けてゐるには相違ないが、この短日月の間に北部山の手にしつかりと地盤を築き上げてしまつた発展ぶりは、兎に角眼ざましいとせねばならぬ。現在芸妓屋 七十八軒。芸妓 二百二名(内小芸妓十七名)。幇間 四名。料理店 二十一軒。待合 六十七軒。」、「神明町といふは富士神社があるに因つて起つた町名で、祭神は美人に関係の深い木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)。六月一日が例祭でその祭日に売る麦藁細工の蛇は昔からの駒込名物、俳風柳多留(ヤナギダル)に曰く…麦藁が化けて蛇となる暑いこと…時は今、富士へ蛇の出たあしたなり」(松川二郎著『全国花街めぐり』)
花街は戦前まで隆盛を誇っていたが、1945(昭和20)年4月の空襲で大部分が焼失。その後1950(昭和25)年に復活し、昭和30年代前半までは神武景気等に支えられて一時期盛り返す。しかしその後は坂道を転げ落ちるように衰退の一途を辿り、昭和50年代半ばには見番もなくなり、ついに遊里の灯りは消えてしまった。
1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、本駒込三~五丁目に編入となり消滅。
撮影場所:駒込神明町