【下谷①011】下谷南稲荷町
町番号:下谷①011
町名:下谷南稲荷町
読み方:したやみなみいなりちょう Shitaya-Minami-Inarichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1964(昭和39)年9月30日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」
現町名:台東区東上野二・三丁目、元浅草二丁目
概要:この地は徳川家康入府以前は姫が池へと繋がる沼地で、附近一帯は大雨が降ると沼や川が氾濫していた。1590(天正18)年、家康が江戸に入府してから治水工事が実施され、沼地は埋め立てられていった。はじめは水田の他、同心宅地等町屋が建てられてたが、1657(明暦3)年の江戸大火後、江戸各地の寺院がこの付近に移転。唯念寺、成願寺、宗源寺、西蓮寺の各門前に町屋が形成された。この頃、唯念寺の門前町屋は、町内に稲荷神社があったので、俗に「稲荷町一丁目」と呼ばれていた。また、成願寺の門前町屋は「稲荷町」と呼ばれていた。
1869(明治2)年、門前町と隣接する留守辻番屋敷を合併して、正式に下谷稲荷町が起立。1872(明治5)年、新寺通り(現・浅草通り)で南北に分けられ、それぞれ「下谷南稲荷町」、「下谷北稲荷町」となった。当町の町域となったのは下谷唯念寺門前(町)、下谷成就寺門前、下谷辻番屋敷で、その際に下谷江島町を吸収した。町名の由来は町内に稲荷神社があって、俗に「下谷稲荷町」と呼ばれていたことによる。稲荷神社とは現在の下谷神社である。下谷神社は古来、「下谷稲荷」と称していたが、1872(明治5)年に「下谷神社」と社号を改めた。同年の戸数209・人口871(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。同年、東側一部は浅草区に編入。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、東上野二・三丁目、元浅草二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:下谷南稲荷町