「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 「凛々しい」木曽義高と「天才」源義経の会話にある「源氏の争い」
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 「凛々しい」木曽義高と「天才」源義経の会話にある「源氏の争い」
毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、好き勝手に書かせてもらっている。それにまつわる史実や、ドラマに関する内容、演出など、何か好きに書いているのはなかなか面白いのである。
さて、今回は一気に話が進んだ。木曽義仲の挙兵は治承5年(1181年)6月であり、木曽義仲が平家に大敗(水島の戦い)して、頼朝に宣旨が降りたのは寿永2年(1183年)10月の事である。この1年半が一気に今回進んだということになる。
この間に有名な倶利伽羅峠の戦いがある。
倶利伽羅峠の戦いとは、木曽義仲が北陸に来た平家の追討軍に対して倶利伽羅峠に誘い込み、そこに牛に松明を付けて、日から逃げようとする牛によって平家軍を追わせる火牛の計をつかい、平家追討軍に壊滅的な損害を与えたというような戦いであり、その戦いによって木曽義仲は一気に名前を挙げたのである。この時に、平家はかなりの軍隊を失ってしまったために、京都における防衛を無理と考え、そのまま安徳天皇を擁して西に落ち延びることになる。
しかし、その「京都を防衛することが不可能」と判断した平家軍に、水島の戦いで木曽義仲は惨敗してしまうのである。平家はこの戦いで、赤壁の戦いの時の曹操軍のように船をすべて繋ぎ合わせ、そこに来た木曽義仲軍に対してまずは弓を射かけ、そのうえで船の上でも訓練された馬で木曽義仲軍を蹂躙するのである。そもそも、平家は日宋貿易など船に慣れており、そのうえ、まだ数の上でも木曾軍にまさっていた。これに対して、木曽義仲の軍は、元々山の中の軍隊であったために船の動きには慣れていない。その上で奇襲攻撃をされたのであるからかなり苦戦したのである。挙兵の時から従軍している足利義清・海野幸広の両大将や足利義長(義清の弟)、高梨高信、仁科盛家といった諸将を失い、多くの損害を出したのだ。
木曽義仲と源頼朝の違いは、「焦りがなかった」ということ、もっと言えば、偶然(当時)飢饉であり、兵糧が手に入らなかったということもあり、また、豪族の内紛もあった。そのことから源頼朝は関東を抑えるしかなかったのである。それに対して、源行家や志田義広を擁した木曽義仲軍は、京都に上洛するという感覚ばかりが先走り、水島の戦いのような損害が出たときに、補給ができないのである。
市川染五郎“源義高”の麗しさと、菅田将暉“義経”からのプレゼントにゾクゾク<鎌倉殿の13人>
小栗旬主演の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(毎週日曜夜8:00-9:00ほか、NHK総合ほか)の第14回「都の義仲」が4月10日に放送された。尊敬する父・木曽義仲(青木崇高)の命に従い、人質として鎌倉に来た義高(市川染五郎)が、源頼朝(大泉洋)の愛娘・大姫(落井実結子)の若きフィアンセとなり、政子(小池栄子)から温かく迎えられた。義高の極めて美しいビジュアルが視聴者を引き込み、義高と義経(菅田将暉)の互いの本心を隠した会話劇にも注目が集まった。(以下、ネタバレが含まれます)
■Twitterトレンドランキングの常連!
三谷幸喜が脚本を務める「鎌倉殿の13人」は、源頼朝に全てを学び、武士の世を盤石にした男・北条義時(小栗旬)と、彼を中心に鎌倉幕府将軍“鎌倉殿”を支えた13人の家臣団の生きざまを描く物語。毎週、Twitterのトレンドランキング1位の常連であり、今週も番組タイトルの他、「三種の神器」「セミの抜け殻」「義高くん」等、関連ワードがずらりと並んだ。
今回は、嫡男・義高を鎌倉へと送った義仲が、平家の追討軍を撃退して上洛。敗れた平宗盛(小泉孝太郎)は、三種の神器とともに都を落ち延びる。義仲の活躍に焦る頼朝であったが、義仲と後白河法皇(西田敏行)との関係が悪化すると、弟・義経を大将とし派兵することを決断。しかし、利益のない戦に御家人たちが不満を募らせていくという展開で、物語は不穏な雰囲気が漂い始めている。
■美しき義高に政子もメロメロ!
当初、政子は、義仲の嫡男が人質でやって来ると聞き、さらに大姫の許婚(いいなずけ)という名目であることに不機嫌だった。ところが、義高の姿を見るなり、態度が一変。義高はとても眉目秀麗な上、礼儀正しい若者であり、大姫も政子もすぐさま義高を気に入った。女性陣の目はハートになったといったところ。義高は冠者殿(かじゃどの)と呼ばれ、大姫とはもちろん、義時や他の坂東武者とも打ち解けた日々を送っていた。
義仲は、源氏の棟梁の座を争う頼朝のライバル。快進撃で都に乗り込み、平家を追放する武功をあげるが、粗野なふるまいから後白河法皇に遠ざけられてしまう。そればかりか頼朝にはめられ、平家と和睦を結んだといううわさが立ち、後白河法皇に謀反であると誤解される。頼朝は、この機を逃すまいと、義経を大将にして兵を出すことを決める。
義経は兄からの信頼を得たことに喜び、出陣を前に義高と会う。義高の趣味がセミの抜け殻集めであると知っていた義経は「いつかやろうととっておいた」と、大量の抜け殻を義高に手渡す。しかし、義経の本心は、義仲を討つつもりであった。
出陣する義経の背中を見ながら源氏の身内争いへと発展したことを嘆き、義時は「こうならぬことを望んだのですが」と話す。義高は「九郎殿(義経)は不憫でなりません。父に戦で敵うわけがありません」と抜け殻を握りつぶしたのである。
お互いが本心を伏せ、「二度と会うことは無い」と思いながら贈るセミの抜け殻。その意味合いを考察した視聴者は「怖い怖いよ、このやりとり」「命の短さを憂う象徴としての“セミ”ってのがまた、切ないよ」「義経と義高は、時代が違えばセミ仲間として仲良くなれただろうに…」「2人とも美しいお顔で、考えてること怖すぎ。ゾクッとした」など、SNSは大盛り上がりだった。
4/11(月WEBザテレビジョン
https://news.yahoo.co.jp/articles/3265564f61c9e08ffc4d41f67f08112bd9b0a0c2
さて、その木曽義仲と源頼朝を結んでいるのが、木曽義高、つまり義仲の息子である。子の木曽義高は人質として鎌倉に来て、そのまま頼朝の娘の大姫との間に許嫁の関係にあったということになる。いわゆる政略結婚である。
さて、今回のドラマは、「源頼朝を悪人に描く」ということによって、「北条義時」の家を武士を守る苦悩を描きだしているのであろうと想像できる。そのことから、源頼朝は悪人になり、その悪人ぶりが酷ければ酷いほど、他の人々が全て善い人になってゆく。木曽義仲もその息子義高も同じだ。木曽義仲は、吾妻鑑では「粗暴な人間」というようにあ書かれているが、ドラマの中では後白河法皇に翻弄され、悪逆な人物にさせられているが、実際には義に厚く戦に強い武将ということで描かれている。しかし、それだけに細かいことに気にしないので、そのことから、徐々に陥れられるという形になり、それが水島の戦いで敗北することによって見放されるということが非常によく書かれている。最後の演出で、真っ暗な中庭に座り、誰も座っていない座席を見上げる木曽義仲の映像は、これ等の状況を言葉で表すよりもはるかに説得力のある内容になっている。
また、そのことは「頼朝」に狙われる木曽義高にも向けられる。ちなみに、木曽義高はかなりいい男であったようで、江戸時代になって木曽義高の浮世絵がかなり様々な所で使われ、人気を博していたという。もちろん、江戸時代の浮世絵師は本物の木曽義高のことなどはだれも見ていない。しかし、いい男であり、なおかつ悲劇に彩られたということが、なかなか良い印象で日本人の間に見られているのではないか。
一方、もう一人の「頼朝の犠牲者」は、源義経である。この時に義経一人は、自分が総大将となって木曽義仲と戦うとして勇躍してゆくのであるが、その時に、自分を送り出した木曽義高と同じような運命になり頼朝の犠牲者になるとは全く思っていなかったに違いない。ドラマの中でも、多分史実でも、義経自身は「頼朝の後継者」と思っていたに違いないから、それが、頼朝に追われる立場になるとは思っていなかったのではないか。そのことが見えているだけに、義経の出陣の様もなんとなく涙を誘うものになる。
「九郎殿(義経)は不憫でなりません。父に戦で敵うわけがありません」という木曽義高の言葉が、違う意味で当たってしまうということが、なかなか興味深いのではないか。