【下谷①033】上野西黒門町
2017.12.10 09:48
町番号:下谷①033
町名:上野西黒門町
読み方:うえのにしくろもんちょう Ueno-Nishi-Kuromonchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1964(昭和39)年9月30日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「上野」
現町名:台東区上野一丁目
概要:寛永寺の門前町。前身の上野新黒門町の起立は、1625(寛永2)年の寛永寺創建時とも、寛永寺創建の翌年である1626(寛永3)年ともいわれる。町名の由来は寛永寺総門の黒門に因むが、既に上野黒門町が存在していたので「新」を付した。また上野黒門町は「元」を冠して「上野元黒門町」と改称。はじめ代官支配地であったが、1632(寛永9)年に寺社奉行支配となり、次いで1745(延享2)年に町奉行支配となる。
前身の上野新黒門町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に御成道(中央通り)を境に東西に2分され、上野西黒門町となる。1872(明治5)年、伊勢亀山藩石川家6万石の上屋敷と近隣の武家小屋敷を合併して町域が定まる。同年の戸数161・人口644(府志料)。西を外した「黒門町」及び「黒門町の師匠」の名は、町内に居を構えた8代目桂文楽の渾名であった。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、現行の上野一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:上野西黒門町