【下谷①038】上野山下町
町番号:下谷①038
町名:上野山下町
読み方:うえのやましたちょう Ueno-Yamashitachō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1965(昭和40)年7月31日
冠称:「上野」
現町名:台東区上野七丁目
概要:町名の由来はこの地が東叡山寛永寺の麓にあることから、俗に「山下」と呼ばれていたことに因む。江戸期は下谷町のうちで俗に「東叡山の側なれば山下と呼」(備考)ばれていた地域。当地は1737(元文2)年の火災で、御徒町、上野広小路、池之端、坂本、金杉、三ノ輪の各町が焼失したことにより、山内火除けのために明地として定められていた場所で、「上野山下火除け明地」と呼ばれていた。明地であったことから、町は起立されず、幕府の許可を受けた床見世(簡易商店)や見世物小屋が建ち並ぶ歓楽街で、「上野山下庇床請負場所」と称された。「庇床」とは、片流れの小屋根を付けた床見世で、簡単な商店のことをいう。上野御目代の支配を受け、茶見世、食物見世、講釈場等が150軒程あったという。1868(慶応4)年、上野戦争で山下一帯は焼失したが、間もなく復興し、瓦葺き家屋の建物が建ち並び、町の体裁が整った。
1869(明治2)年起立。1872(明治5)年の戸数49・人口160(府志料)。1870(明治3)~1882(明治15)年、寛永寺子院街(36坊中11寺)の通称「下寺通」を併合した。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1883(明治16)年、上野駅が開業。当初の営業区間は上野~熊谷。1885(明治18)年、上野駅の駅舎本館が落成。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1890(明治23)年には上野~秋葉原間貨物地上線開通すると市街地としての地域を狭められることになった。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、上野七丁目に編入となり消滅。現在の上野駅口内と駅前広場にあたる。
撮影場所:上野山下町