【下谷①042】池之端仲町
町番号:下谷①042
町名:池之端仲町
読み方:いけのはたなかちょう Ikenohata-Nakachō
区分:町丁
起立:1628(寛永5)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:「池之端」
現町名:台東区上野二丁目、池之端一丁目
概要:1628(寛永5)年、寛永寺の門前町として起立。町名の由来は不詳。不忍池の南方に位置し、はじめ代官伊奈半左衛門の支配であったが、1632(寛永9)年に寛永寺目代田村権右衛門支配の寺社奉行支配となり、1745(延享2)年に町奉行支配となった。年貢は不納で、上野御本坊用人足上野山内掃除人足を差し出した。また錦袋円の勧学屋大助をはじめ、小間物の大槌屋、日野屋、煙草屋の住吉屋、袋物の越川、櫛の十三屋、酒悦の香煎茶屋、守田宝丹等、有名な商家があった。上野と本郷を結ぶ一筋道で、両側に商店が建ち並び界隈屈指の商店街でもあった。また料亭等もあって、後に花柳街に発展した。不忍池畔に出る横町を俗に「吹貫(横丁))」といった。池面を渡る北風が吹き抜けたのでこの名があるという。吹貫横丁を境にして、俗に東側を「東仲町」、西側を「西仲町」と称していたようだ。1828(文政11)年の家数171軒(町方書上)。商人町として古くから発展してきており、錦絵や竹細工、筆墨硯、袋物、茶等を扱う店が建ち並び、大変賑わっていた。中でも了翁僧都という人物が開いた「錦袋円」と称する薬を売っていた薬屋は有名であった。これらの店が並ぶ通りは、江戸時代から明治中期頃まで本郷と上野を結ぶ数少ない道として賑わった。現在の池之端仲通りである。森鷗外の『雁』の主人公岡田もこの池之端仲通りを散歩に出かけるコースにしていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年に福成寺を併合。当時の戸数113・人口501(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
住居表示の実施により、1964(昭和39)年10月1日、大部分が現行の上野二丁目に、1967(昭和42)年1月1日に極一部が現行の池之端一丁目1番に編入となり消滅。池之端仲町通りにその名を留める。
撮影場所:池之端仲町