【下谷①043】池之端七軒町
町番号:下谷①043
町名:池之端七軒町
読み方:いけのはたしちけんちょう Ikenohata-Shichikenchō
区分:町丁
起立:1700(元禄13)年以前
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:「池之端」
現町名:台東区池之端二丁目
概要:原始時代、この地は奥東京湾から分かれた入江の海底であった。徳川家康が江戸に入府した1590(天正18)年頃には湿地帯であったらしい。三代将軍家光の時代に、黒柳助九郎組、牧野金助組の仲間の拝領地となる。後に権兵衛、三郎兵衛、久兵衛、勘右衛門、市右衛門、与兵衛、惣兵衛の7人の町人が買い求めたので「池之端七軒町」と称したというが、起立年代は不詳(備考)。家光時代以後、1703(元禄16)年の火事の記録には当町の名が出ているので家光時代以後、恐らく1700(元禄13)年以前と推定される。「池之端」という名は、池之端仲町と同様に不忍池の畔にあることから付けられたのであろう。1713(正徳3)年に町奉行支配となった。1828(文政11)年の家数138軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、北側続きの池之端七軒横町、永昌院、浄円寺、覚性寺、東淵寺、正慶寺の寺地と門前町を合併。1872(明治5)年、下野喜連川藩足利氏上屋敷、越中富山藩前田氏上屋敷、加賀大聖寺藩前田氏上屋敷を併合し、町域を拡げた。同年の戸数268・人口994(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、全域が現行の池之端二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:池之端七軒町