【下谷①047】谷中茶屋町
町番号:下谷①047
町名:谷中茶屋町
読み方:やなかちゃやまち Yanaka-Chayamachi
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:「谷中」
現町名:台東区谷中六・七丁目
概要:前々身は谷中感応寺表門前新茶屋町。1699(元禄12)年、感応寺が幕府の命令で日蓮宗から天台宗に改めたことで檀家が離れて寺の経営が思わしくなくなった。そのため、1702(元禄15)年に感応寺住職の仏頂院は表門の前に茶屋の並ぶ町を造ろうと寺社奉行に願い出、1703(元禄16)年に寺社奉行から許された。町屋が造られると「谷中感応寺表門前新茶屋町」と名付けられた。こうして感応寺表門前は茶屋の並ぶ町として発足。「新」の字が付けられた理由は「新茶屋町」と道を隔てて南側に「谷中惣持院門前町(谷中惣持院町)」という茶屋の並ぶ町があったため。1843(天保14)年、感応寺は「天王寺」と改称し、それに伴って町名も「谷中天王寺表門前新茶屋町」と改称し、明治を迎える。今では往時の面影はなく、谷中霊園入口にある静かな佇まいの町となっている。
前身の谷中天王寺表門前新茶屋町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「谷中茶屋町」と改称。1871(明治4)年、南北2町に2分されたが、1873(明治6)年に再統合された。1872(明治5)年の戸数42・人口188(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、西隅が谷中六丁目4番、残りの町域が現行の谷中六・七丁目に編入となり消滅。
撮影場所:谷中茶屋町