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江戸町巡り

【下谷①057】下谷入谷町

2017.12.10 11:33

町番号:下谷①057

町名:下谷入谷町

読み方:したやいりやまち Shitaya-Iriyamachi

区分:町丁

起立:1891(明治24)年

廃止:存続 「入谷」として

冠称:1911(明治44)年まで「下谷」

現町名:台東区北上野一・二丁目、松が谷三・四丁目、入谷一・二丁目、竜泉一丁目、下谷一~三丁目

概要:入谷一帯は嘗て千束池だったが、天正年間(1573~1592年)の頃、鳥越村民が池を埋め立て、田にしたといわれている。

1889(明治22)年5月1日、東京府北豊島郡坂本村が東京府東京市下谷区に編入され、1891(明治24)年、その一部に起立。江戸時代には「入谷田圃」と呼ばれていた。町名は江戸期以来、「入谷」と呼ばれていたことに因むが、入谷の由来は不明。町内には「元入谷」、「中入谷」、「南入谷」という俗称があった。元入谷は旧坂本一・二丁目、旧金杉一丁目東側の地で、寺院が建てられ、入谷の中で最も早く発展した地だった。中入谷は元入谷の東側で町の中央部、南入谷は中入谷の東南の地で町の南部に位置していた。

鬼子母神で毎年7月上旬に開かれる朝顔市は明治初年頃、付近の寺院が鉢植の朝顔を栽培し、人に見せたことに由来し、後に植木屋が競い合うようになり、明治末年には最盛期を迎えた。大正初年に廃止となったが、1950(昭和25)年に復活し、現在に至る。

1937(昭和12)年、西部を坂本一・二丁目に、北西部を金杉一丁目に割譲して町域を狭めた。この変更により、「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺は坂本一丁目内になり、入谷の地名とは関係なくなった。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。同年、一部が東京都浅草区松葉町に編入される。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、北上野一・二丁目、松が谷三・四丁目、入谷一・二丁目、竜泉一丁目、下谷一~三丁目のそれぞれに編入となった。

撮影場所:下谷入谷町

撮影地:台東区入谷一丁目22番13号(都営入谷一丁目アパート13号棟)

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