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ZIPANG TOKIO 2020「 秋葉の火まつり・ 防火祭が始まる!秋葉山本宮秋葉神社の御神徳は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神」

2017.12.11 21:45

東海道名所之内 秋葉山 河鍋暁斉 画 江戸時代 秋葉山の光景と、秋葉大権現に仕える天狗が宴会を 繰り広げるユーモラスなさまを描く。

安藤広重 本朝名所  遠州秋葉山

安藤広重 かけ川 (行書版)秋葉街道追分之図

安藤広重 (狂歌東海道)掛川 1833年東海道から秋葉山へ 向かう出発点となっていた。

表参道

秋葉山の一帯は、天竜奥三河国定公園に指定されています。山麓の坂下から山頂へ上る表参道は、東海自然歩道として整備され、山歩きをするハイカー達に親しまれています。 風光明媚であるだけではなく勾配の急な坂道には、参詣者相手の茶屋や渡世場の跡、常夜燈や町石が点々と残され、江戸時代の秋葉詣での雰囲気を肌で感じることのできる歴史の道でもあります。


秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山との呼び声も名高い秋葉山を神体山と仰ぎ、創建は和銅2(西暦709)年と伝えられております。 中世には「秋葉大権現」と称して、その御神徳は国中に知れわたり、朝廷からは正一位の神階を賜り、著名な武将からも数多くの名刀が寄進されました。更に江戸時代には全国に秋葉講が結成され、街道は参詣者で賑わいました。今なお古式の祭儀がそのままに営まれ、全国津々浦々より崇敬されております。


由緒

上古は「岐陛保神ノ社」(キヘノホノカミノヤシロ)と申し上げましたが、中世両部神道の影響を受けて「秋葉大権現」と称し、明治初年教部省の達で権現号を改め「秋葉神社」となりました。更に昭和27年全国の秋葉神社の総本宮であることから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称しました。

主な交通手段は徒歩だった時代、秋葉道者(秋葉山への参詣者のこと)は各地で宿泊しながら本宮を目指しました。そのため遠州各地の宿は道者で賑わい、秋葉山山麓にも多くの旅籠が軒を連ねていました。参詣者の多くは午後三時頃に山上に到着し、一晩参籠して明朝祈祷を受けて下山するのが常でした。 明治維新後、当社は「県社」の社格をもって遇されました。文明開化のなか全国で鉄道が整備されましたが、秋葉山周辺では多くの参詣者の要望を受けて遠州鉄道や秋葉馬車鉄道(のちの静岡鉄道秋葉線)、鉄道・バスといった交通網がいち早く整備されました。山頂の参籠者が一晩に400人になることもあり、広い宿泊設備のある二階建ての社務所兼参籠所が建造されました。 この社務所は「秋葉弘道館」と呼ばれる教育機関でもありました。神職や文化人により神職を志す若者や教育を受ける機会のない青少年に学問を教授しました。写真に写る袴姿の少年たちがその学生で常時20名ほど在籍し、彼らは給仕などの手伝いをしながら、読み書き算盤をはじめ神道、和漢の古典を学びました。


 御祭神

御祭神は、火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオミカミ)と申し上げ、伊邪那岐・伊邪那美二柱の神の御子で火の主宰神です。火の光は時間的、空間的に人間の活動範囲を拡め、その熱は人間に冬の寒さも克服させ、食生活を豊かにし、そのエネルギーは工業・科学の源になると共に、その威力は総ての罪穢れを祓い去ります。光と・熱と強いエネルギーを与えられたこの神は、文化科学の生みの親として畏敬され、崇められてまいりしました。



御神徳

 御神徳は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展の霊験あらたかなるものとして、全国津々浦々から信仰されています。御霊験は奈良朝以来、屡々顕れ、御神威は海内に行きわたり、朝廷の信仰篤く正一位の宣旨を賜って、正一位秋葉神社と申し上げます。



御神寳

太刀 銘 弘次  奉納者 今川左衛門仲秋 大正12年3月28日 古社寺保存法により国宝に指定 昭和25年5月30日 文化財保護法により重要文化財に指定 黒漆塗り拵製作 広井彰久氏

秋葉山本宮秋葉神社には、古来より多くの日本刀が献納されて来たり、今に至っている。 明治23年に記された『寶物目録』には、185口を数えるが、明治43年牧野泰一著『秋葉土産』によると更に数口が追加されている。また昭和26年の調査による『刀剣台帳』には、上記以外に数口が新たに加えられている。
『寶物実録』に記された献納者の内、名立たる武将として伊豫守源頼義・為朝・足利尊氏・今川仲秋・武田信玄・長曽我部元親・豊臣秀吉・加藤清正・福島正則などの名が挙げられる。 江戸時代には彦根藩藩主をはじめ各大名が名を連ねている。更に公家や豪商とおぼしき町人もみられ、その居住地は駿河・尾張・伊勢など東海地方から、京都・大阪・紀伊など近畿地方、美濃・越前などの東山・北陸地方に亘っている。大名から庶民に至るまで、広く信仰を集めていたことを示している。 神社に日本刀を奉納する習わしはわが国国有の文化である。武運長久を祈願し、一族の繁栄を念じ、また、その御神徳に謝す崇敬の証に他ならない。日本刀は、護身の武器として、また鏡の如く磨き澄まされた刀身は、清浄なる魂の依拠するところでもあった。 献納された日本刀は、平安時代から鎌倉・室町・桃山・江戸の作が有り、製作地方は山城、大和、など畿内から、東海道、東山道、北陸道、山陽道などほぼ全国に亘っている。秋葉土産には献納者による記述がなされ、一般にわかりやすく書かれている。これらの記述の中には刀剣以外に御親筆や書画なども多く記されている。しかし永い年の流れの中でさまざまな災難にあい、失われたものの多くに愛惜の思いが募る。 「秋葉山本宮秋葉神社の奉納刀」渡邊妙子氏


太刀  銘 安縄 鎌倉時代初期  奉納者 阿部豊後守 大正11年4月13日 古社寺保存法により国宝に指定 昭和25年5月30日 文化財保護法により重要文化財に指定 拵製作 広井彰久氏


折返銘  正宗 金承嵌銘 武田大膳太夫晴信入道信玄所持 室町時代 奉納者  武田大膳太夫晴信入道信玄


刀 銘 備前国住長船与三左衛門慰祐定 同二郎左衛門慰勝光作 天文三年八月吉日 松永右京口之 奉納者 山本勘(介)助


掛川一ノ鳥居

 掛川宿から秋葉道起点だった大池橋そばには、大鳥居と秋葉神社の遙拝所が建っていました。 永く地元の人々に崇敬護持され、本宮1300年記念事業として飛び地境内に編入し整備しました。


雲海に浮かぶ上社の境内

 上社境内にある11の末社は、享和3年(1803年)刊行の「遠江古跡図会」にも、その一部が描かれている。 現在は、本殿右脇に「安座石社」が祀られ、本殿に上る階段の左手に内宮社・外宮社・祓戸社の3社、右奥に天神社・水神社・山姥社・小國社・風神社・白山社・山神社の7社が並ぶ。 山姥社は、山姥伝説を伝える本殿北の「機械井」(ハタオリイ)の畔にあった小祠であります。


秋葉神社下社


神 門

上社から少し下った表参道に建つ、境内で最も古い建造物。 入母屋造り、銅板葺きで、軒下に文化9年(1812年)諏訪三郎の作と伝える華やかな彫刻がある。 棟札に天保2年(天保2)信州上諏訪の立川流の名工である二代目和四朗冨昌、和蔵父子とその弟の次右衛門富保・喜三良父子の手で奉建されたことが記されている。 


西ノ閽の神門(にしのかどもりのしんもん)

御鎮座1,300年記念事業の一環で、スーパー林道沿い参道に造営、材料は、地元天竜杉を使用
神門四隅に施されている四神。 写真左より青龍・朱雀・玄武・白虎 南部白雲作



幸福の鳥居

遠都淡海、遠州灘を遙かに望む標高866m秋葉神社


本 殿

高い石垣が組まれた上社の最高域に、秋葉山頂の神域を背にして建つ、現社殿は、昭和61年(1986年)の再建。流れ造りの本殿と入母屋造りの拝殿を幣殿で繋ぐ権現造りで、建坪130坪、総檜造り拝殿正面には唐破風の向拝が続く。
昭和61年遷座祭 


神楽殿

本殿の下方、向かって右に建つ素木の社殿。「秋葉の火まつり」で知られる12月16日夜の防火祭で古式豊かに執り行われる三舞の神事の舞台となる。 平成4年竣工


気田川のほとりに鎮まる下社

下社の正式名称を「遥斎殿(ようさいでん)」といい、山上の御本殿を遥拝する神殿である。 現在の社殿は切妻造りで昭和18年の建立。神さびた雰囲気を慕う参詣者も少なくない。社殿横にあるのは巨大な鉄製「十能」「火箸」である。 いずれも炭火に使う日用品。火の神様への信仰で昔から鉄鋼業の崇敬者が多く、鉄の工芸品も数多く寄進された。ここまで巨大な理由は職人たちが秋葉さんに奉納するということで大きさや精緻さで技術を競ったからである。 残念なことに古い品は戦時中にほとんどが供出されたが、戦後改めて奉納されたものが下社横に掲げられている。 下社門前は気田川の河川敷であり、川遊びやキャンプ場、鮎釣りの名所として多くの人に親しまれている。


表参道

秋葉山の一帯は、天竜奥三河国定公園に指定されています。山麓の坂下から山頂へ上る表参道は、東海自然歩道として整備され、山歩きをするハイカー達に親しまれています。 風光明媚であるだけではなく勾配の急な坂道には、参詣者相手の茶屋や渡世場の跡、常夜燈や町石が点々と残され、江戸時代の秋葉詣での雰囲気を肌で感じることのできる歴史の道でもあります。


年中祭事

火の神を奉じる秋葉神社。 秋葉山を神奈備とする長い歴史を秘めて、「三舞の神事」を筆頭とする古式ゆかしい神事が 営まれます。 江戸時代の盛況を語り伝える神輿の渡御も復活し、火防開運の神徳を願う人々でにぎわいます。


毎月の祭事 1日 月祀祭  16日 月祀祭  末日 神札焼納祭

睦月 一月の祭事

1日 開運祈祷祭 歳旦祭
正月から2月16日まで 厄除八方除祈祷祭 吉日 交通安全祈願祭
28日 小松鳥居御焚上祭

如月 二月の祭事

3日 節分厄除祈祷祭
7日 山神祭
2月初午の日初午祭
11日 建国記念祭

弥生 三月の祭事

3日 水神祭
13日 鎮魂祭
3月春分の日 春季霊社祭 

卯月 四月の祭事

21日 春祭

五穀豊穣と国家安泰、諸産業の隆昌を願う祈年祭です。祈年祭は各神社では2月17日に行われることが多いが、秋葉神社では古より4月21日に斎行され、弓矢で邪気を祓う鳴弦の古式があります。

皐月 五月の祭事

3日 手揉献茶祭
14日 安座石社祭

手揉献茶祭

戦後からの祭事で、5月3日、茶どころである地元の周智茶手揉保存会が八十八夜に摘んだ新茶を神前に奉納します。

水無月 六月の祭事

3日 献茶祭
30日 大祓式

文月 七月の祭事

15日 両部祭
第4土曜日手筒花火奉納祭

手筒花火奉納祭

7月の第4土曜日に、下社前の気田川河畔でおこなわれます。三河花火で知られる愛知県豊川市古宿の婦組煙火講によって、手筒花火、仕掛け花火の打ち上げが繰りひろげられます。 秋葉山の花火の歴史は古く、慶応元年(1865年)に記録があります。 三河の花火師が、火防と家内安全を祈願して秋葉神社に花火の奉納をはじめたのは、明治初期からといいます。

 葉月 八月の祭事

5日 姥神祭祭
8日 風神祭
18日 国魂祭

長月 九月の祭事

秋分の日 秋季霊社大祭
28日 小松鳥居大祭

神無月 十月の祭事

10日 天神祭
17日 神嘗奉祝祭

霜月 十一月の祭事

3日 式年神幸祭
7日 山神祭
28日 秋祭

式年神幸祭

3年に1度の11月3日に行われます。氏子区域である天竜区(春野町・龍山町・二俣町)を、「秋葉」の文字を染めぬいた法被姿の氏子が担ぐ神輿が巡行します。昭和61年(1986年)、上社本殿が修造され、遷座祭が斎行されたのを機に復活しました。貞享2年(1685年)、秋葉山の神輿を担いだ信者が、幟を立て、鉦・太鼓を打ち鳴らしながら、近隣の村々から東海道沿いに京・江戸をめざしました。行列の人数は膨大となり、禁止令が出る事態となりました。この「秋葉祭」をきっかけに、秋葉山の火防の霊験が全国に広まり、その後の秋葉詣での隆盛につながったともいいます。

師走 十二月の祭事

15日 秋葉の火まつり(御阿禮祭みあれさい)
16日 秋葉の火まつり(例大祭・防火祭ひぶせのまつり)
31日 大祓式・除夜祭


秋葉の火まつり(防火祭)


毎年
12月15日 午後2時半 御阿禮祭
12月16日 午後1時半 例大祭
12月16日 午後10時 火まつり

私達の遠い祖先は、中天高く吹き出た火山の火に、また雨雲を引き裂くような稲妻から、強風に煽られた大木の摩擦から起こる原始林に燃え立つ火に、恐ろしい火を発見しましたが、やがてその火を用いるようになりました。それは闇をも照らす火、囲炉裏を囲んで一家団らんする火、煮炊きする火となって、人間生活にはなくてはならないものとなりました。雄大な神秘の火は、古代生活の中でもっとも神聖なものとして、火の御祭を尊びました。人々には、いろいろな罪、穢れが知らず知らずにおこるものであります。これを祓い清めて明るき清き真の心にたちかえった時に、初めて神に通じるものであり、恩頼が戴かれるものであります。お祓いにはお塩で祓うとか、水で祓うとかがあります。 中でも一番強い祓いは、火でお祓いするのであるといわれます。寒い冬の季節を耐え忍ぶ人々は、一日も早く野山に草木の芽吹くのを待望んで火を焚き、その力によって、うららかな春の日差しを迎えようと神の祭りが行われます。こうして、古くから行われてまいりました秋葉の火まつりは、第一に火災焼亡の危急を免れ、第二に洪水波没の難を免れ、第三に諸厄諸病の難を免れ給うと、多くの人々の願いをこめて、三人の神職によってそれぞれの弓の舞・剣の舞・火の舞の三舞が、各々秘伝をもって奏されます。


弓の舞・剣の舞・火の舞

先ず初めは「弓の舞」です。一の神職が弓を左手に鈴を右手にとって、初めは静かに次第に激しく舞いだし舞い狂うのであります。舞い終わりますと中央に進み出て、五本の矢を東西南北の四方に向け、最後に中央の天井に向けて次々に放ちます。このあたり方によって、来る年の豊年吉凶を占うのであると言われております。 次に「剣の舞」です。二の神職が左に剣、右に鈴をとって、地上の精霊を宥め、悪魔を抑える舞を舞い、左右に二振りの剣をとって、振りかざし振りかざし、罪、穢れを切り祓う舞を舞うのです。 最後に「火の舞」です。御本殿の奥深く奉安されている万年の御神燈から火を移した松明が、舞殿に移されますので、その松明を受け取って頭の上に足もとに、高く低く振りかざし振りかざし、境内の常闇の中に人々の火難・水難・諸厄諸病を祓いやる祈りをこめて、あかあかと燃えさかる火の舞を舞い、舞い狂い、舞いおさめ、火防の祭りを終わります。

弓の舞

剣の舞

火の舞

秋葉山本宮秋葉神社の「火まつり」に是非お出かけください。


交通アクセス

電車でお越しの方

お車でお越しの方

東名高速を来られる方は、浜松西インターを出ましたら左折、環状線を北上国道152号線に出ましたら左折、一路二俣山東まで進み、上社方面 国道152号線をお進み下さい。 三つ目のトンネルを出ましたら、雲名橋を渡り登山道をお進み下さい。 

下社方面へは天竜区山東交差点より国道362号線をお進み下さい。

 新東名をご利用になられる方は、浜松浜北インターを出まして天竜方面に進路を取って頂き、飛龍大橋を渡ったところの交差点を左折、双竜橋という交差点を右折して国道152号線を北上して下さい。三つ目のトンネルを出ましたら、雲名橋を渡り登山道をお進み下さい。

新東名インターチェンジから約30分 ※駐車場大型 20台 普通車 300台以上 ※西の方面から来られる方は三ヶ日Jctにて新東名に移って下さい。東京方面からの方も、浜松浜北ICを出、二俣山東交差点にて上社御参拝は、国道152号線にて北上、三つ目のトンネルを出ましたら西雲名橋(写真※1)から登山道(スーパー林道天竜線)にお入り表参道をお進み下さい。 

下社方面へは天竜区山東交差点より国道362号線をお進み下さい。

協力

秋葉山本宮秋葉神社 〒437-0693 静岡県浜松市天竜区春野町領家841
TEL.053-985-0111(上社)
TEL.053-985-0005(下社)