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南米リターンズ-3-

2020.01.30 11:42

※なんということかペルー→ボリビア間のの写真を殆ど撮っていない。余程やられていたらしい。


リマへの出発が遅れる見込みである旨を知ったときから薄々は察していた。旅程が崩壊すると。もう少し空港への到着が早ければ。そもそもの遅延連絡がもう少し早ければ。リカバリーする策に向かってトライする余地はあったかもしれないがそれはifでしかなく。リマに着陸しバスでドナドナされている最中、乗り継ぐはずであったラパス行きの機体がタキシングしているのを目撃する。空港野宿を指示する係員を相手に寄って集って揉め倒しホテルを用意させ、クスコを経由し代替便でラパスへ向かうこととなる。ホテルにチェックインした頃には確か日は変わっていたか。しかしフライトは夜も明けきらぬド早朝。空港直結ホテルだけありグレードはそれなりに高いはずだがシャワー・仮眠室付きの上等な空港ラウンジ程度の扱いで2,3時間も寝ることなく再び機中の人となった。数時間前に共に係員と揉めたアメリカ人達の顔には我々の比ではないやつれた顔で機内に入るのを見てそれに比べれば元気なもんだと自分を鼓舞する。

旅程崩壊はここで終わらない。マチュピチュを見ることなく、クスコの空気を吸っただけで今度はラパスへの飛行機へ乗り換える。乗客の9割は日本人。よく訓練された日本人達は企業戦士集いし伊丹-羽田でもこうはいかないくらいの手際の良さで着席を済ませる。だがしかし。南米はこの努力に報いることはない。スポットで、滑走路手前で、停止を続けること数十分。もう覚えてない。とにかく気が付いたら日本時間で新年を迎えていて、それに向けてセットして聞いていた交響曲はとっくに終わってたことだけは覚えてる。

ラパスに着いたら着いたでタイミング悪く昼休みもといシエスタタイム。ここでまた時間をロスする。もうこうなるとこの日は列車撮影を試みるチャンスも無い。淡々と車を走らせ続けてウユニへ入った。年越しカップ麺を食らい、新年を迎えて窓の外で爆竹と花火の爆ぜるのを眺めながらいつしか気を失った。

元旦早朝は初日の出を見る為ウユニ塩湖湖上へ。雲が多くウユニらしさはあまりなかったが、、、宿に帰ってからはみるみる雲が捌け、トレインセメタリーを覗いたあとは再びウユニ塩湖の中へ。音のなく足元も空もその向こうも水色に染められた世界を我々は貸切で堪能する。個人手配旅行の強みがここで遺憾なく発揮される。

全日本人が憧れるウユニはここまで。あくまでも汽車を撮りに来た我々は早々と来た道を戻り始める。

翌朝。早朝のオルーロを郊外へ車を走らせ、車も進めぬ泥沼と強烈な悪臭が漂い、野良犬吠える線路際を延々と歩いた。そこにはその苦労が報われると信じてやまぬ撮影地があるはずだから。

空が間近に迫る一面の湖の中を走る日本製機関車が曳く客車列車。千と千尋?そんなものと比べられては堪らないほどの絶景があるはず。

あるはずだった。やってきたのは2両のレールバス。いやまぁこれでも雰囲気はあるにはあるが…2両どころかもっと長い編成の客車列車がこの鏡の世界に滑り込むはずだったことを思うと複雑な気分である。この後はラパスへ戻り、翌未明の飛行機でリマへ戻る。ラパスの夜景を見ながらのロープウェー、綺麗だったなぁという人並みな感想が残る凡なボリビア観光旅行が終わる。

ここまでペルー南部の銅山鉄道、ボリビア旅行の2部作を一挙に走ってきたが帰国便までの時間はまだ丸一日ある。

と、いうわけで時間になっても現れぬレンタ屋の係員など、ここでもまた南米クオリティに苦しみながらも帰国日にあってなお初訪問の路線を目指しアンデスの高地へ向けて標高差3000m強を一気に駆け上がる。アンデス中央鉄道、チベット鉄道が開通するまでは世界で一番高いところを走る鉄道として知られる。列車の運行パターンなど細かいところは一切わからぬ出たとこ勝負故に、最高標高地点での撮影は成らず、そもそも極度の疲労で道から外れた撮影地の探求までもをできる状態にはなかったのが悔やまれるがそれでもアンデスを目指して深い谷の底を僅か200km弱で最高地点まで高度を上げるべく数多のスイッチバックを繰り返しながら往来する列車を捉えることはできた。

一週間強という短い期間でNY・ペルー南部砂漠・ボリビア・リマ奥地ととんでもない数と濃度のメニューをこなす遠征はこれにて終了。一年間履いてきたマレーシアで買った靴はソールが剥がれ落ち、途中で買った300円の靴も底が抜け、遂には遠征の後半を100均ゴムサンダルで過ごしそのままの姿で冬の日本へ帰ることとなった。

南米は筋書き通りには全く事が運ばない。この地のハードさを改めて思い知った遠征となった。だがそれがクセになる。