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えんぜるになりたい花になりたい

2022.04.13 13:06

Facebook相田 公弘さん投稿記事

「私は燃え尽きた灰のよう・・・何を目標に生きていけばいいのか、わからず、これまでの人生は何だったのかというむなしささえ覚えるのです」ある初老の女性が、自分の人生を振り返り、そのような愚痴や不安を口にしました。

鈴木さんはひとつの短い詩を毎日繰り返すことをすすめます。

「えんぜるになりたい花になりたい」

これは、八木重吉という人の詩です。

彼女は、その日から毎日、この言葉を繰り返しました。

すると、ある日偶然に、彼女の胸を打つテレビ番組に出会ったのです。

90歳になる女性が、庭に植えたたくさんの花々を世話しながらいかにも楽しそうに対話しているのに目を見張りました。その姿が花畑に降りた天使のように見えたです。

そのうち彼女は、自分の家の庭に草花を植え出しました。

水をやりながら、草花に話しかけ何を欲しているのか耳を澄ますようになりました。

それはそれは楽しい毎日でした。

家族からは、「お母さん、最近変わったね」と言われるようになったそうです。

「草花の声を聞こうとすると、家族一人ひとりの心の声も聞こえるようになってきたのです。草花がくれた贈り物です」そう語る彼女は、天使のようにさわやかでした。

出典

『幸せに気づく時間毎日を笑顔に変える35のストーリー』鈴木秀子著佼成出版社より


マノマノ稲穂@manomano_farm

これは覚えておくことをオススメしますが「これからの人生が、これまでの人生を」決めるのです。過去が未来を決めるのではありません。未来が過去を意味づけるのです。これまで「なにがあったか」ではなく、これから「どう生きるか」によって、あなたの過去に意味が生まれるのです。


Facebook北條 毅さん投稿記事

改めて、今日4月12日に、45歳の誕生日を迎えました。

数々のお祝いメッセージや気持ちを寄せていただいたみなさんㅤ本当にありがとうございました。ㅤ

普段は年齢を気にすることはほとんどないんですが1年に1度のこの機会に改めて45歳という年齢を振り返ってみるとㅤなんだか感慨深いものがあります。ㅤ

あれから、もう30年かぁ。ㅤ

かつて中学3年生、15歳のある日の夜僕はデパートの屋上に立っていました。

自殺するために。

当時、学校ではいじめにあいㅤ家では痴呆が進んだ祖母の罵声が 毎日のように飛び交い、殺伐としていたころでㅤ息が詰まるような日々の中 何の生きる希望も 見い出すことができなくなっていって

ある日、塾からの帰りの夜にㅤ人生を終わらそうと近所のデパートの屋上に登ったんですよね。ㅤ

閉店間近な百貨店で 田舎町の静かな夜の空気を いまも昨日のことのように 鮮明に覚えています。

飛び降りるその直前に屋上駐車場の塀から身を乗り出して これから落ちるコンクリートの地面を眼下に覗き込んだその瞬間 死んだ後、自分の葬式で 両親が棺に取りすがって号泣しているㅤそのまだ訪れていない、未来の映像がフラッシュバックのように鮮明にありありと見えたんです。

そしてその瞬間「こんなに両親を悲しませるのなら死ねない」そう強烈に感じてしまって

屋上を後にして家に帰ったんですよね。

なつかしいなぁ。。ㅤ

あの瞬間から今年でちょうど30年。ㅤ

ほんのわずかな可能性の分岐の先にその後の30年があり、いまの僕がいる。

そう思うとなんだか不思議な気持ちになります。

そして同時にあれが僕にとっての大切な原体験だったんだと、いま改めて感じるんです。

あの頃、僕は僕が生きていた小さな世界に行き詰まり、絶望したことでもう死ぬしかないと思い込んだ。

けれど、いまはわかる。ㅤ本当は、まだまだできることあったよね、ってことを。

本当は、まだまだ可能性はあったよね、ってことを。

もっともっと周りに助けを求めたってよかった。

もっともっと本当の気持ちを、親と話し合ってもよかった。ㅤ

15歳の子供だって解決のためにできたことはあったよね、って。

あるいは逆に全力でどこかに逃げたってよかったよね、って。そう思うんです。ㅤ

それらを「できっこない」と無意識に諦めてㅤまだまだあったはずの可能性を試しもしないで絶望して現実的な状況以上に「もうダメだ」と自分で自分を追い詰めていった。

そのことが、いまはよくわかる。ㅤ

だから、僕にとってのそれからのこの30年間はㅤ自分を解放していく時間でした。ㅤ

自分がすべてだと思い込んでいた狭く閉ざされた世界からの、解放のための時間。

それは、家族だったり学校だったり職場だったり あるいは、人間関係だったり 常識だったり その時々でテーマは移り変わってきたけれど結局は、「それがすべてだ」のように思い込んで自分を閉じ込め息苦しくしてきた

「自分自身の意識」からの解放だったと、そう思うんです。

自分がすべてだと思っていた世界は居場所を求めて必死に、血まなこになって 一喜一憂し

希望と絶望に揺れ動いてきた世界はそこから一歩外に出てみるとなんてことのない大きな世界の中の、大きな宇宙の中のㅤほんの一部分に過ぎないということに、気づくこと。

外の世界に気づき、一歩外に出るㅤ

その怖くて怖くて仕方ないほどにショッキングなけれど、飛び出た後に包まれる大きな解放感と安心感 そして、本当の自分を またひとつ取り戻したような たしかな力強さ

それらを求めて 歩み続けてきた旅路だった、ように思っています。ㅤ

いま、世界中が揺れてるよね。

国も、会社も、業界も、そして学校も長い間閉ざされてきたそれぞれの「ある世界」が

閉ざされ続けてきたことで溜まりに溜まった膿をダムが決壊するかのように支えきれずに吐き出し始めている。

変わり、壊れゆく姿ばかり見ていると恐れと絶望でいっぱいになるけれどㅤでもそれが、すべてなんかじゃないから。

絶望した世界の、その一歩外側に出るだけで可能性に満ちた世界が広がってるから。

そして、その世界には誰だって足を踏み出すことができるから。

かつての僕が、そうだったように。

人間は誰しもがそれぞれの大きな可能性を秘めていてその本当の可能性に、力に

つながったときに放つ輝きほど、美しいものはない。僕はそう思っています。

そういう人を、少しでも増やしていきたい。

これから楽しみだなぁ。

そのために、何よりも僕自身が本当に楽しいことをやっていきたいなぁ。いまはそう思っています。

いまこれを読んでくれているすべての人そして、これまでもこれからもご縁のあるすべての人に、心からの感謝を。

楽しんでいこうね。歓びを選んでいこうね。

世界中の生きとし生けるすべてのものに祝福を。狭い世界に、自分を閉じ込めなくていいんだよ。

自分を解放していこう。僕もまだまだ、もっともっと自分を解き放っていこうと思っています。

楽しんでいこう。ㅤ45歳のこの1年間も、よろしくね。