『岸辺のアルバム』と住宅文化
かつて放送されたTBSのTVドラマ『岸辺のアルバム』(TBS公式HPより)
『岸辺のアルバム』と住宅文化
―堀川とんこうは、図らずも、日本の住宅文化に大きな影響を与えている―
毎週金曜日、午後10時から、全15回で放送されたTVドラマがある。 期間は、1977年(昭52)6月24日から9月30日。台風シーズンに合わせた放送スケジュールとなっていた。
『岸辺のアルバム』(TBS系列)は、当時では珍しかった辛口のホームドラマだ。今から44年前(2022年現在)、この番組をリアルタイムで観た世代は、現在50代後半以降ということになるだろうか。
原作、脚本が山田太一、プロデューサーが堀川敦厚(あつたか)、監督が鴨下信一など、となっている。山田太一の本が採用されドラマが滞りなく最終回まで放送された、という点では、一番の立役者はプロデューサーの堀川敦厚(後の堀川とんこう)ということになるであろう。第12回ではその堀川が自ら演出も手がけている。
リアルタイムでドラマを観た私(当時18歳)には、オープニングの、マイホームが濁流に飲み込まれていく映像が今でも鮮烈に印象に残っている。実際のニュース映像が使われていた。この趣向は、堀川自身が考え出したものである。堀川の著書『ずっとドラマを作ってきた』(新潮社、1998年)にもそのことが記述されている。
堀川とんこう『ずっとドラマを作ってきた』(新潮社、1998年)より
ドラマ初放送の3年前、1974年9月1日から3日にかけて、台風16号のもたらした豪雨で、多摩川が増水した。狛江市では、左岸の堤防が260メートルにわたって決壊し、宅地3000平方メートルが濁流にえぐり取られ、住宅など19戸が流された。幸いにも住民は避難を済ませており、死傷者は1人も出なかった。
多摩川沿いのしゃれた住宅が次々と流されていく光景は、人々の夢を壊す残酷なものだった。当時、マイホームは庶民の夢であった。
映像では、木造賃貸アパートが形を崩さず、そのままの姿で流されていくところが、ハッキリと見てとれた。その様子を繰り返しオープニングで見せられた視聴者が、この事実に注目しないわけがなかった。アパートは、木質系パネル工法の採用を売りにしていた、ミサワホームの手がけた物件だった。
強固なモノコック構造により、台風の影響で基礎の土砂を半分削り取られても、建物本体は原形を保ったミサワホームの建物(ミサワホーム公式HPより)※モノコック構造については、以下の本文中で説明をしています。
木質系パネルというのは、木製の芯材を縦横に組み、それを両側から合板でサンドし、中の空間にはグラスウール(断熱材)を詰め込んだものである。そのパネルを使い、現地で組み立てる工法を、木質系パネル工法という。在来工法とは異なり、柱を立てない。壁自体が、構造駆体(耐力壁)となっているのだ。
発想は、ツーバイフォーとも似ている(ツーバイフォーにも柱がない)。その意味で、木質系パネル工法というのは、現地で施行を行うツーバイフォーをプレハ化したもの、ということもできる。木質系パネルは予め工場で生産される。つまり、これがプレハブという意味である。
なお、木質系パネル工法による住宅は、強固なモノコック構造となる。モノコック構造とは、切れ目のない箱型ということだ。乗用車のボディーなども、板金による箱型となっていることから、モノコックボティーと呼ばれている。どちらも軽量で頑丈である。
ミサワホームの社員研修では、今でも、このオープニング映像が使われることがある、と聞く。
「木質系パネル」の構造
(ミサワホーム公式HPより)
「モノコック構造」によるミサワホーム戸建住宅
(ミサワホーム公式HPより)
ミサワホームO型
(ミサワホーム公式HPより)
折しも1976年(昭51)9月、ミサワホームからは、木質系パネル工法を採用したO型という企画住宅が発売となっていた。ドラマ放送開始の前年である。
価格帯は、当時のサラリーマンにも手が届く設定だった。O型は、その後十数年間にわたり販売され、累計5万戸も売れている。驚くべき数字である。
実はO型は、日本では初めて、LDKを取り入れた間取りとなっていた。LDKというのは、リビング、ダイニング、キッチンとが一体となった間取りだ。現在では日本全国に普及している。
それらの陰にはドラマの功績があった。
堀川とんこうは、図らずも、日本の住宅文化の発展に大きな影響を与えている。
了
2024.09.10修正加筆
正倉一文
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【編集後記】
亡くなった堀川とんこう先生が、テレビ界、映画界、文筆業界のみならず、住宅業界にも大きな影響を与えたことを、ご自身はどれほど自覚されていたのだろう、と時折思う。
ミサワホームの木質系パネル工法の家は「プレハブ」と呼ばれた。プレハブとは、既に説明した通り、工場で予め組み立てられた、という意味である。当時は、プレハブといえば、安物住宅の代名詞ともなっていた。また、ミサワホームの住宅を「べニアでできた家か」と揶揄する人もいた。それらは、少なくともミサワホームに関しては、いわれのない偏見である。例えば、O型の場合、改良が重ねられ、途中からは質感もかなり向上し、外観も内装も在来工法の住宅以上に豪華になっていった。現在では、木質系パネル工法の住宅や、ツーバイフォー工法の住宅も、構造駆体である壁の部分をはじめ各所が予め工場で生産されている。つまりプレハブ化が進んでいる。そんな現在では誰も「プレハブ=安物」とは考えなくなっている。というよりも、プレハブは普及して常識となり、もはや死語となりつつある。
2024.09.10修正加筆
正倉一文
堀川とんこう先生、高木凛先生ご夫妻
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