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神話は何を伝えているのか

2022.04.14 13:35

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/150997 【神話は何を伝えているのか 古事記の不思議を探る】より

雲海に包まれ幻想的な高千穂峡(宮崎県)

 神話には現実世界にはいないような姿形をし、人間には持ち得ない能力を持った神や動物たちが現れ、奇想天外な話を繰り広げていきます。鼻がとんでもなく長く、口と尻が赤く、目が光り輝くサルタヒコが道案内をしたり、手の間から落ちてしまうほど小さいスクナヒコナが温泉を開いたりします。

 どうしてこのように不思議な話が生まれたのでしょうか。古くから多様な理由が考えられてきました。代表的な考え方に、神話とは自然現象や倫理的な原理を象徴的に表わしたものだ、というものがあります。アマテラスがスサノオの乱暴を恐れて天の石屋に隠れる神話を太陽が嵐によって隠れた話だと解釈したり、日食を表わすと解釈したりする立場です。もう一つには、神話は歴史的な出来事が神話として伝えられたのだとする立場があります。アマテラスがオオクニヌシに葦原中国を譲るように求め、タケミカヅチが武力を行使することで国を譲ることが決まったという話は、大和朝廷と地方勢力との争いと服従の歴史が神話として伝えられたのだ、と解釈する人は今も多くいます。

 どちらが正しいかを決めることはできません。つねにさまざまな解釈の可能性があり、謎が謎を生みます。

 神話の謎のなかには、遠く離れた地域に、似た神話が伝わっているのはなぜかというものがあります。人が神話を伝えたのでしょうか。それとも偶然でしょうか。20世紀になり、人の心の研究が展開すると、人間の心が神話を生み出すという考えが出てきます。人間の心の無意識の層には、個人を越えて共有される部分もあると想定されました。そうすると遠く離れた地域の神話や、さらには個人の夢と神話が似ていても不思議ではないことになります。

 ヤマタノオロチのような蛇形の怪物は世界中の神話に登場し、英雄の敵となります。なぜ蛇なのでしょう。最近では、蛇を見たことない小さな子供でも蛇を怖がることから、蛇を怖がるのは、われわれの遠い先祖が狩猟、採集生活をしていた頃に身近にあった危険が蛇であり、それが現代人の習性にも残されているからだといわれています。蛇退治の英雄の存在は、人類の歴史、人類の生態から説明できることになります。

 神話の謎は人類の謎でもあります。人類についてのさまざまな研究が、神話の謎を解く鍵ももたらしてくれるでしょう。


http://hotozero.com/feature/kyodaitalk_11/【【第11回】なぜ、人は神話を愛するの!?】より

教えてくれた先生

横地 優子 京都大学大学院文学研究科教授

専門はサンスクリット文献学、古代・中世インドの宗教文化。プラーナとよばれる歴史・考古資料を併用し、3~12世紀のヒンドゥー教――特にシヴァ教と女神信仰――の歴史の再構築をめざす。近年サンスクリット詩の表現分析も試みている。共著に『The Skandapurana Volume IV, Adhyaya 70-95. Start of the Skanda and Andhaka Cycles』(Brill, Leiden 2018)

自由に書き換えられてきたインドの神話

♠ほとぜろ

多くの民族や文化が神話を持っていると思いますが、神話はなぜ生まれるのでしょうか。

♦横地先生

インドの神話に数多く触れてきた経験から言うと、その出発点にあるのは、世界がどういうものかを知りたい、という気持ちなのではないでしょうか。自分がどこにいるのか、どこから生まれたのか、死んだらどこへいくのか、さらに、世界がどのように作られたのか、世界の終わりはどうなるのかなどなど、わからないと怖いから説明がほしい。そういうところから神話ができた。これは、宗教にも同じようなことが言えると思います。

ただ、インドの神話は、山ほどあるんですよ。私が主に研究している神話関係の文献は、初期のヒンドゥー教の「プラーナ」と呼ばれるもので、プラーナという言葉は「古いもの」という意味。ちょうど、日本の『古事記』に似ていますね。しかし、『古事記』は一度だけ作られて権威を持ったわけですが、インドの神話は、何度も作られているのです。

♠ほとぜろ

同じ内容が、少しずつアレンジされるといったことですか?

♦横地先生

現代のインドだけでなくパキスタンやバングラデシュ、ネパール、スリランカなども含む南アジア大陸は、ちょうどヨーロッパぐらい広い。だから、スタンダードといえるような神話ができた後も、地域ごとにいろんなバージョンができて神話が増えていきました。

また、書き換えられるのも特徴です。ヒンドゥー教の神の中で最も影響力を持つとされるものにシヴァ神とヴィシュヌ神がありますが、6世紀頃にヴィシュヌ信仰からシヴァ信仰にシフトすると、神話も書き換えられていきました。

たとえば、インドの神話でよくあるパターンに、悪魔が世界を支配していた時にヴィシュヌが何か別の姿に変わって悪魔を殺し、世界の秩序を取り戻したというのがあります。以前なら、そこでめでたし、めでたしだったものが、その後、ヴィシュヌが元の姿に戻れなくなってシヴァが元の姿に戻してあげるというエピソードが加わったり、ヴィシュヌが悪魔を殺そうとするのだけれど、なかなか勝てなくてシヴァの助けを借りてようやく殺した、というようなエピソードに変わったりするわけですね。以前から有名だったヴィシュヌの神話を残しつつも、それを全部、もう一つ上にシヴァがいる、という形に変えるわけです。

横地先生インタビュー風景

横地先生は、インドの神話は地域や時代によって変わるのだと教えてくれる

♠ほとぜろ

書き手が書きたい話にしていくから、盛り上がるのかもしれませんね。

♦横地先生

書き換えの話には、面白いものがありますよ。シヴァのシンボルはリンガといい、男根の形だと考えられています。で、2世紀ぐらいから、時々、それに顔がついているのが見られるようになり、その中には東西南北に4つの顔がついているパターンがあります。

インドの叙事詩『マハーバーラタ』には、なぜリンガがそのような姿を取るのかについて説明が出てきます。ブラフマンという神が、悪魔の兄弟の力を弱めようと、美しい女性をつくって兄弟のもとに送り、女性を巡って喧嘩させるように仕向けることにしました。それで、ブラフマンが女性に兄弟を誘惑する力を得させようとシヴァの周りをまわって礼拝させるのです。すると、シヴァは女性のあまりにも美しい顔を常に見ていたくて、リンガの4方向に顔が出てしまったという逸話です。

これがシヴァ信者には嫌だったのでしょうね(笑)。そういう説もあるが実は違う。それは、あくまでも、シヴァが、各方角からそれぞれ違う力を与えるためにやったことであり、決して女性を見たかったからではない、という話に書き換えられました。こういうのを読むと、もう、笑うしかありません(笑)。

4方向にシヴァの顔が出たリンガ

ヒンドゥー教は宗教ではない?

ほとぜろ

そのあたりになると、もう、世界を知りたいということではないような気がしますが。

♦横地先生

そうですよね。出発点としては世界を知りたいという好奇心、恐怖心だったかもしれませんが、そのうちにエンターテインメントとしても楽しまれるようになったというのはあるのかもしれません。

そういえば、近代になっても神話は作られたんですよ。イギリスによる植民地支配を取り上げて大砲が出てきたりするような話もありますからね。もちろん神話だから昔の神様が出てくるのですが、神様が未来を予言するという形で、野蛮な人たちがやってきてこんな戦争があって、というようなことが記されています。

♠ほとぜろ

ヒンドゥー教の神話を、人々がそのように書き換えたりできるのはなぜなんでしょうか。教義とかはないのですか?

♦横地先生

ヒンドゥー教を説明するのはなかなか難しいのですが、一つに定まった教義というようなものがありません。ヒンドゥー教という宗教がそもそも存在すると言えるのかを議論する研究論集が出るぐらいです。

たとえば、キリスト教やイスラム教では、絶対的な神が存在することは前提です。神が存在しているかどうかの論証が行われますが、存在しない、という結論はあり得ません。インドでも神の存在論証は行われます。仏教やジャイナ教では、絶対的な神は存在しないという立場なので、存在論証は間違っているということを証明しようとします。

ヒンドゥー教の場合は、哲学の学派のようなものに分かれてそれぞれに立場が異なり、神は存在する・しないの両方の立場が共存して互いに論争したりします。シヴァが絶対神という人、ヴィシュヌが絶対神という人、一方で絶対神は存在しないという人もいるのです。

教義がないから書き換えができたわけですが、この書き換えから当時の宗教観や民衆の宗教文化などをうかがうことができます。たとえば、今でもインドには聖地がたくさんあり、多くの人が聖地巡礼をしていますが、3、4世紀に現在の形に完成させたとされる叙事詩『マハーバーラタ』にもすでに聖地巡礼の話は出てきていました。その一つひとつの聖地に関して、さらに詳しい話が作られたりもしています。巡礼をするといいことがある、ここで死ぬと天国へ行けるといった宗教文化が昔からあったようです。

プラーナ文献そのものはサンスクリット語で書かれていて、かなりの知識人でないと読めないので、直接触れることはないかもしれません。しかし、数々の神話は、お祭りの語りや像、お寺の壁画などの美術品などを通じて人々にとって身近な存在でした。プラーナや、神話に近い『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などの叙事詩は、低い階級の人たちでも学べたり、楽しめたりするものでした。古い時代には誰かがサンスクリットの文献をベースに、村の人たちや聖地巡礼に来た人たちに語る、といった形だったのではないでしょうか。

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インドの聖地の一つ、プラヤーガで開催されたクンブ・メーラという祭りの光景

異世界の物語にはまる現代人

♠ほとぜろ

最近、ファンタジー系のゲームや小説などに、インドの神様などがモチーフとして使われたりしていますよね。

♦横地先生

そうですね。インド神話について、昔よりはよく知っている若い人が増えました。たとえば、「アバター」という大ヒットしたアメリカ映画がありましたが、あれは、サンスクリット語で化身という意味を持つアバターラから来ています。日本の仏教用語でいう権化も、同じ語源です。シヴァやヴィシュヌも、いろいろな形で地域の寺院などに表れることになっていて、便利な概念です。

大河物語のようなものとか、みんな好きですよね。そのような物語の面白さが、インドの神話にはあると思います。『マハーバーラタ』などの叙事詩はテレビシリーズにもなっていますし、そのモチーフを使った文学作品、演劇なども数多く作られています。ヴィシュヌの化身であるクリシュナの生涯は映画になり、小規模な作品も作られて地域のお祭りなどでよく上映されていたりもします。人をひきつける物語がそこにはあるということだと思います。

♠ほとぜろ

壮大な世界観がマッチしているから、ファンタジーなどにも使われるようになったのかもしれません。

♦横地先生

そう、外国ではそうかもしれませんね。しかし、私たちのような外国人とインド人の感じ方は違っていると思います。私はインドの神話に想像を超えるような異世界を見せてくれる魅力を感じることがありますが、インドの人にとっては、ルーツや自分のいる世界を説明してくれる存在ということが大きいのかも。

面白いのは、同じインドでも、インド哲学はものすごく論理的だということです。少なくとも近代以前では、世界的に見てもトップレベルに発展しました。論理学が早くから発達し、インドの人は論理的な議論が好きです。なのに、神話は、論理をすっ飛ばしてしまっている(笑)。

♠ほとぜろ

ギャップがあるんですね。

♦横地先生

私のイメージですが、あまりに論理でガチガチに考えたので、最終的に、この世界は論理では割り切れないということになったのではないでしょうか。神様は、論理を超えてていい存在、なんですよ、きっと。


https://book.asahi.com/jinbun/article/14517328 【神話とは何を伝えたいのか、どんな意味があるのか?】より

 神と神が結婚して、子としてわれわれが暮らしている島が生まれたとか、女神が洞窟に引きこもったら真っ暗闇になったとか。神話の中では現実世界にはあり得ないような出来事が語られています。日本の神話だけがそのように奇想天外な話なのではなく、他の地域の神話をみても、天の神と大地の神が結婚して神々が生まれる話があったり、三つの頭と蛇の尾を持つ犬が冥界の入り口にいたりするなど、これまた負けず劣らず不思議な話が展開しています。神話と総称される物語はたいていそのように不思議な話です。

 神話とはいったい何を伝えたいのか。この物語にはどんな意味があるのか。そう思うのは、科学が発達した現代の人だから、というわけではありません。この疑問について、古代ギリシャではすでに代表的な二つの考え方が示されています。一つは、寓意説というもので、神話とは、自然や倫理的原理の寓意(アレゴリー)だと解するものです。たとえば英雄の竜退治は、正義が悪と対峙し、それを克服する話を象徴しているのだ、といった具合です。アフロディテという美の女神であれば、欲望を象徴していると解釈したりします。

 もう一つはエウヘメリズムというもので、これは紀元前300年頃に活躍したエウヘメロスを代表者とする考え方でした。ギリシャ神話にはヘラクレスやペルセウスといった父は最高神ゼウスで、母は人間の女性という英雄たちが登場し、縦横無尽に活躍します。彼らのような半神半人の英雄は、実在の王たちの先祖であるとされたりしました。そのことも大いに関わっていると思いますが、実在の人物を賞賛する話がいわば大げさになっていったために、戦う相手は人ではなく恐ろしい姿をした怪物となり、戦い方も奇想天外になっていったのだというものです。

神話についての解釈

 神話は、なにかの原理を象徴的に表現しているのか。それともその背後に歴史的な事実があったのか。神話についての解釈は、今もこの二つの見方に集約されていくように思います。アマテラスが天の岩屋に籠もり、真っ暗闇になったという話は、嵐によって太陽が隠れたということを表しているのだという解釈があります。これは寓意説といえるでしょう。同じ天の岩屋の神話を、邪馬台国の卑弥呼の死という歴史的事実を表現したものだと解釈する人もいます。まさにエウヘメリズムです。より有名なエウヘメリズム的解釈としては、アマテラスがオオクニヌシに国譲りを求めた神話の背後には、大和朝廷と地方の豪族との対立と和解という歴史があるのだというものもあります。寓意説とエウヘメリズムのどちらの見方が正しくて、どちらかが間違っているということは言えません。神話の解釈には困ったことに「これが正解だ!」というものはまずなく、多くの人が賛成するかどうかで正解に近いかどうかを判断するようなところがあります。もちろん時代によって多数派になる解釈も変わっていきます。

『神話でたどる日本の神々』(ちくまプリマー新書)書影

 今回ちくまプリマー新書として『神話でたどる日本の神々』を送り出すことができました。今の私が考えている日本の神話の解釈について、神々を軸にして描き出してみました。私が神話学という学問の世界に踏み出して二十余年経ちますが、振り返ってみると自分の神話の解釈も変化していることに気がつきます。年齢を重ねたり、職場での役割や家庭環境の変化などが神話の読み解きにも影響を与えているように感じられます。性や年齢、社会での役割、家族構成、異なった立場の人たちがそれぞれに神話を読み解いて感想を言い合ったら、新しい解釈が生まれて楽しいのではないかと考えたりします。この小著は、私の読み解き。共感しない人もいるでしょう。ひょっとしたら後の時代になって完全否定されるものもあるかもしれません。それでも、一つの読み解きが、神話談義の口火を切るきっかけにでもなればと願って送り出します。

https://www.mskj.or.jp/report/3063.html 【神話を通じて「天分に生きること」を伝えたい】より

黄川田仁志/卒塾生

神話はギリシャやローマに限らず世界中にさまざまであるが、神事や祭祀そして風習にまで神話の影響が残っているのは日本だけのようである。そこに見られる日本の技術に対する思いや仕事に対する姿勢は未来に伝えていかなければならない。精神の分断を乗り越えて、強く「天分に生きる」ことの大切さを子供たちに伝えなければならない。

1.はじめに

 日本人は「日本の伝統精神とは?」とか、「日本人らしさとはなんであろうか?」という問いをするのが好きな国民なのだそうである。それはなぜだろうか。推測するに、先の大戦の敗戦により、そしてその後の米軍の占領により、日本の伝統精神が変えられてしまったのではないかという疑念から、このような問いが発せられていると思われる。そして「日本人らしさとは何か」を論じ、絶えず確認する作業によって、その疑念から脱却しようとしているのではないだろうか。また、昨今のグローバル化の波に洗われて、日本人が日本人でなくなってしまうのではないだろうかという恐怖があるからではないだろうか。

 そのような疑念と不安の中で、日本の良質な伝統精神がだんだんと薄れていってしまっているような気がする。その一つの理由は、神話が親から子へ、子から孫へ伝えられなくなってきているからであると考える。宗教哲学者のひろさちやは神道は日本民族宗教であり、日本人(日本民族)に日本人としての生き方を教えているといっている。日本の神話はこの神道の要素を伝える基礎になる話である。私の父母の時代までは、イザナギとイザナミの国生みの話や天の岩戸の話など当たり前のように話し伝えられてきていた。しかし、我々の世代からはそれがなくなってしまっている。

 そこで本論文では、神道の教えから日本の伝統精神を読み取り、今日までそれがどのように私たち影響を与えているかを確認したい。そして、今後の日本人として生き方を考えてみたい。

2.神話のスサノオとヤマトタケルから日本の精神を読み取る

 日本民族宗教(神道)の経典というべき書物は『古事記』『日本書紀』、そして『万葉集』である。研究者の中には『古事記』や『日本書紀』の成立は八世紀であり、神代からの伝承とはいえないと否定する向きもあるが、日本人がこれまで「何を信じてきたか」が大切であって、これらの書物の話が事実であるかどうかについては、精神論にとってはあまり影響がない。西洋をみるといい。キリスト経の経典は『旧約聖書』と『新約聖書』であるが、本当にモーゼが本当に海を割って道を示したとか、聖母マリアが処女のままキリストを生んだとか、それが事実かどうかということは問題にしてはいない。同じように『古事記』や『日本書紀』は、日本人に対して日本人らしい生き方を教える書物といってよいのである。

 『古事記』や『日本書紀』の神話を読むと、そこには雑多の神様達が存在し、日本人の自然への考え方を教えてくれる。日本人には「自然への畏怖の念」があり、これからの地球環境問題について考えるための重要な価値観である。これについては多くの場所や人が語っているので、ここでは言及をしない。私が注目したいのはスサノオとヤマトタケルである。彼らは日本人に「天命を全うする」ことを教えてくれる。

 私は海神・スサノオがとても好きである。なぜならどうしようもない神様であるからである。スサノオは、父に国生みのイザナギと姉にアマテラスをもつ由緒正しい神様である。にもかかわらず、父・イザナギの命に背き海を治めないので、父の逆鱗に触れ追放された。その後に姉・アマテラスの国へ行ったが、乱暴を働くので姉の国からも追放されてしまうという体たらくだ。しかし、スサノオは活躍の場所を得ていなかっただけなのである。彼の乱暴な気性は戦いに向いており、それが天命であったのだ。アマテラスの国を追放されたスサノオは、出雲の国(黄泉の国・母のイザナミの国)へ向かうが、その時に八岐大蛇を退治し、英雄となった。彼の天命は戦士であったのである。場所をへて、天分を全うすれば、仕事ができるということである。八岐大蛇退治の後は出雲の国に納まったようであるが、それは初めに行きたがっていた母の国だからではないだろうか。彼は初めから自分の進む道を知っていたのかもしれないと勝手に想像している。

 次はヤマトタケルであるが、彼も猛々しい性格から景行天皇のから疎んぜられた。その結果、征伐隊として東奔西走しなければならなくなった。しかし、ヤマトタケルの性格は戦士に向いていたのであった。彼は帰国の途中で命運尽きるが、武勇伝を残し、名を残した。天分を全うしたといえるのではなかろうか。

3.聖徳太子が教える日本人の生き方

 『日本書紀』に記されている聖徳太子の十七条憲法も、私たち日本人に行き方を教えてくれる。第一条の「和を以て貴しとなす」という言葉はあまりにも有名であり、日本人は古来から教えられてきた「和」の精神を大切にすることは言うまでもない。宗教や民族の対立から紛争が絶えない世界の状況をみても、われわれは「和」を尊ぶ国でありたいと思う。しかしながら、私が本節で注目したいのは第七条の「人各(おのおの)任(よさ)有り」という教えである。第七条の全現代語訳(日本書紀 講談社学術文庫)を下に紹介する。

「七にいう。人はそれぞれ任務がある。司(つかさど)ることに乱れあってはならぬ。賢明な人が官にあれば、ほめたたえる声がすぐに起きるが、よこしまな心をもつものが官にあれば、政治の乱れが頻発する。世の中に生まれながらにして、よく知っている人は少ない。よく思慮を重ねて聖となるのだ。事は大小となく、人を得て必ず治まるのである。時の流れがはやかろうが遅かろうが、賢明な人に会った時、おのずから治まるのである。その結果国家は永久で、世の中は危険を免れる。だから古の聖王は、官のために立派な人を求めたのであり、人のために官を設けるようなことをしなかった。」

 今の内閣を考えると適材適所で人材を配置したのか、単にその人の名誉のために大臣ポストを与えているのではないかということを、この第七条を見て政治は反省して欲しいと思う。最近のどうしようもない政治状況を見ると、ついこのようなことをいいたくなるが、この第七条に関して述べたいのは政治や行政に対することではない。十七条憲法はそもそも官吏に向けた法であるが、一般の日本人にとってもすばらしく、この第七条も私たちによりよく生きるための心構えを教えてくれる。私たちは「天分を全う」しなければならないということを教えてくれている。「人はそれぞれ任務がある」という言葉は、「人はそれぞれ天分(天命)がある」という言葉に置き換えられるのではないだろうか。また、「人各(おのおの)任(よさ)有り」という言葉も「人にはそれぞれ良いところがある」のでそれを伸ばし活かしていけばよいということと考えることもできる。「任」は「良さ」という意味とは違うが、「よさ」と読まれるので、このように解釈してもよいであろう。続いて前後を多少省いて解釈すると、次のようになる。「人は生まれながらにして、自分の能力を知っている人はいない。よく考えて、精進することでなんらかの達人となるのである。事の大小は問題でなく、人は必ず活躍できる場所がある」と言っている。まさに「天分に生きよ」ということではないだろうか。自分の能力を見つけ、磨き、使うこと(天分に生きること)で、仕事の大きい小さいと関係なく、自分の居場所を見つけることができるという尊い教えを聖徳太子は教えてくれているのである。

4.天分に生きていた日本人

 少なくとも曽祖父の代までは、日本人はこのような伝統精神を受け継いできた。その証拠として、本節では幕末・明治前期の様子をよく見てみたいと思う。この時代、日本人は庶民に至るまで大いに天分を全うしていたようである。

 1863(文久3)年にスイスの遣日使節団長として日本を訪れたアンべールは、当時の横浜の人々の振る舞いにひどく感銘を受けていた。彼は回想録の中で、籠の中の魚をどう料理したらよいかと一生懸命に説明する人や、庭の花を代価なしに渡して持たせてくれた人を紹介している。日本人の無償の親切に大変感動したそうである。「善意に対する代価を受けとらぬのは、当時の庶民の倫理であったらしい」とアンベールは評価している。また近代日本の観察者であるモースは、日本の職人たちを単なる叩き大工でなく、芸術的意欲のある自由で気概がある人たちであると賛美している。またアンベールは日本人の労働について、「労働それ自体が、もっと純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみとなっていた。そこで職人は自分のつくるものに情熱を傾けた」と感嘆している。

 しかしながら、他の観察者は同時に労働者を「怠惰」とか「不精」とも評価している。江戸時代の人々は、働きたいとき働いて、休みたいときは休んでいたといっている。それは仕方がない評価であろう、幕末・明治は近代への移行期である。近代化前の日本人の行動について、近代化をすでに成し遂げ軍隊的な規律をもって働く外国人が、このように前近代の労働観との違いに驚くのも無理はない。この働き方をもって、日本人は「怠惰」ということにはあたらない。

 出島のオランダ商館フィッセルの1833年に出版した著作には、「自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である」と言っている。明治時代に外国人が戸惑ったのは、日本の召使が主人である自分のいうことを聞かずに、召使自身が主人に対して最良と考える仕事をしてしまうことであったという。

 私たちの曽祖父たちは、このように自由で独立で気概をもち天命に生きたのであろう。もちろん、この幕末と明治の日本人の仕事に対する振る舞いは、ことさら神道の教えを意識したものではないであろう。しかし、こうもいえるかもしれない。神道の神々は日本人にとってあまりにも当たり前すぎて「空気」のような存在であった。ユダヤ教やキリスト教などは、信仰の対象としての神様がはっきりしている。しかし、日本の宗教は信仰の対象がはっきりしない「空気のような神様」なのである。「空気のような神様」すなわち「空気」に自然に導かれて、日本人は仕事を「ワーク」ではなくて、「天命」にしていたのではないだろうか。

5.その「空気」が変わった気がする

 よく日本人は空気が読めるとか読めないとか言って、何か場に存在している「空気」を感じてこれに従おうとする。神道の神々は「空気のような神様」と言ったが、場の「空気」というのも日本人とっては神様であると宗教学者であるひろさちやは言っている。昨今、「天命」であるはずの仕事に対する「空気」がどうも変わってきているような気がする。ニート・フリーターやワーキングプアが社会問題化し、個人も企業も、仕事に対する考え方が悪い方向に行っていると感じる。フリーターは201万人(2005年総務省「労働力調査」)であり、非正規労働者は1633万人(2005年総務省「労働力調査」)で、10年前の6割増となっているとされる。

 松下幸之助塾主の考えとまったく逆に、日本は動いている。塾主は日本の伝統精神を熟知し、私たちに切に訴えていたと思う。個人に対しては「使命を正しく認識すること」と説いている。人は自らの天分を知って、己を鍛えて活躍し社会に貢献することがよいと言っている。企業に対しては、「人間は磨けば輝くダイヤモンドの原石」であると説き、人材育成に力を注いだ。人間は素晴らしい素質(天分)をもっていて、それが生きるように扱うのがよろしいのである。松下幸之助は聖徳太子とまったく同じことを言っているのである。

 最近、個人も企業もこのような「天分を生かす」ための努力を怠ってきている。このままだと社会全体が地盤沈下する。この「空気」を変えなければならない。日本の伝統精神である「天分に生きる」ことを全うしようとする人を増やすことで変えていくしかない。日本人は「空気」が神様であるので、「空気」が変われば日本人の精神が蘇えって行動が変わるかもしれない。これは教育の責任である。

 私たちの世代は神話を聞かされてこなかったし、祖父母の暮らしから学ぶこともなかった。父母の世代はスサノオやヤマトタケルの神話を学校で習わなくても、普通に家で祖父母や親から聞いていたという。また、昔の人は少なくとも三世代前までの人がどのように働いてきたかを直接眼で見、耳で聞いていた。そのことで、「天分を生かす」という日本人の労働観が伝承してきたのである。

 なぜ私たちの世代にこれらのことが伝わらなかったのであろうか。または「天分に生きる」という労働観が弱くなったのであろうか。それは明治の国家神道の成立と先の戦争の敗戦に原因があると考える。明治政府は、近代化に際して強大なキリスト教に対抗するために、一神教的な要素を強化した天皇崇拝の国家神道を人工的につくった。これにより、それまで空気のような存在であった神道が急に強制力をもった宗教に変貌した。本来の神道は多神教で排他的なところが最も少なく、何か一つの対象を特別に崇拝しなければならないといった強制力のない非常にゆるい宗教である。そういう意味でごく自然に特に意識されず当り前のように人々の生活に溶け込んでいた。しかし、国家神道は一神教であるが故に、独善的で排他的な強制力のある宗教になってしまった。そしてその独善的で盲目な天皇崇拝から導き出された愛国主義によって、“聖戦”と称された先の戦争に多くの人々が駆り出された。そして結果は大敗であった。神国・日本は負けないと人々は信じていたのにボロボロに負け、現人神であった天皇は人間であると突然に宣言してしまった。国家神道は崩壊した。今までの価値観が根底からくずれた。それとともに、日本の神話を伝える意欲が無意識であるがなくなってしまったのだ。また、欧米の生活様式が入り、大家族から核家族になり、世代間で伝統を伝え継ぐ機能が精神的にも物理的にもなくなった。

 私たちはどうにかして、日本のよき伝統精神を伝えていかなければならない。そのためには、日本の神話を語り継ぐことであると考える。

6.おわりに

 日本の神話を語り継ぐために、私は皆に伊勢神宮参拝を薦めている。ここには日本の伝統精神を伝えるものが形とてみごとに残っている。私が松下政経塾の研修で最も感銘を受けた研修の一つには伊勢神宮研修であった。そこには1300年前に天武天皇の命によって始められた式年遷宮という祭事あることを知った。この祭事は20年に一度神様の場所と移しかえるのであるが、この時に向けて橋や社まで建て替えるのである。そうして1300年もの間に宮大工の技術が伝えられてきたのである。神話はギリシャやローマに限らず世界中にさまざまあるが、このように神事や祭祀、そして風習や技術にまで神話の影響が残っているのは日本だけのようである。そこに見られる日本の技術に対する思いや仕事に対する姿勢は未来に伝えていかなければならない。精神の分断を乗り越えて、強く「天分に生きる」ことの大切さを子供たちに伝えなければならない。そのような「空気」をつくりたい。

参考文献

日本書紀全現代語訳 宇治谷孟 講談社学術文庫

やまと経~日本人の民族宗教 ひろさちや 新潮選書

政治と秋刀魚 ジェラルド・カーティス 日経BP社

逝きし世の面影 渡辺京二 平凡社

日本の心を伝える伊勢の神宮 山中隆雄 モラロジー研究所

松下幸之助の見方・考え方 PHP研究所編 PHP研究所

仏教・神道・儒教集中講座 井沢元彦 徳間書店