ウィーン体制33-ケルン大聖堂再建へ
2022.04.15 12:03
1840年にプロイセンでフリードリヒヴィルヘルム4世が即位した。彼の王妃はバイエルン王女でカトリック、皆が宗教的融和とドイツ統一の進展を期待した。そして普王がまず42年に行ったのがケルン大聖堂建設の再開である。ケルン大聖堂が由緒ある大聖堂だが、1248年に火災で焼失した。
大聖堂再建中16世紀に主教改革が盛り上がり、建設がストップした。ナショナリズムの勃興と共に、ドイツ人のアイデンティティを求める機運が高まり、ライン川流域をウィーン会議で獲得したプロイセンは、その象徴として大聖堂再建に踏み切ったのである。
普王はこの再建にあたり「この教会を作った力はドイツの一体性と力であります」と演説した。そしてプロイセンは国家の威信をかけた事業として、1880年に完成する。その威容は現在でも見られるが、157mの尖塔は当時では世界最高の高さだった。「ドイツは世界イチイイイー」
このセレモニーには、旧世代代表としてのメッテルニヒと共に、ライン新聞の記者としてカール・マルクスも出席していた。マルクスは、この年「ヘーゲル法哲学批判序説」を出し、抽象的な精神よりも、現実的な変革が必要だというテーゼを提出していた。変革の精神は動きだしていた。