毎朝生まれ変わる
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「毎朝生まれ変わる」
中村天風師の心に響く言葉より… 『私の習慣』
私は毎晩の寝がけに、「今日一日、本当にありがとうございました。本当に嬉しく、ありがたく、これからやすませていただきます」鏡を前に置いて、顔を映して、じっと顔を見て、
「お前は信念が強くなる!」と一言いって、床の中に入る。そして、「今日一日、“怒らず、恐れず、悲しまず”を実行したかどうか」「“正直、親切、愉快”に人生の責務を果たしたかどうか」少しでも自ら省みるところがあったら、「明日は、今日よりも、もっと立派な人間として生きるぞ」ということを心に描く。
そして、いかなることがあっても、喜びを感じ、感謝を感じ、笑いを感じ、雀躍(こおど)りして喜ぶ気持になって、その一刻を過ごすということが、何十年来の私の習慣である。
そして、朝起きると、まず第一に、ニッコリと笑う。もうくせがついているから、眼が覚めるとニッコリと笑う。わざわざニッコリと笑わなくても、ひとりでニッコリと笑う。
そして、「今日一日、この笑顔を壊すまいぞ!」と自分自身に約束する。
◇『ほんとうの心の力』PHP
夜寝る前に何を考えるか、何を思うかはとても大事なことだ。
そのことが、寝ている間に潜在意識となって、自分の心に深く沁(し)み込んでしまうからだ。
心配な事を思い煩(わずら)いながら寝れば、次の朝には、その心配事は増幅されて残ってしまう。
怒りを持ったまま寝れば、次の朝はもっと怒りで満ちてしまう。
人は、「毎晩死んで、毎朝生き返る」という言葉がある。連続した毎日であるからこそ、毎晩、毎朝の区切りは必要だ。神道では、一日の始まりである朝の時間と、一ヶ月の始まりの一日(ついたち)、年の始めの元旦には神事がある。
そして、それらの神事の前には、必ず、罪や穢(けが)れを祓(はら)う祝詞をあげる。
心の汚れを清めてから、毎朝、新たな出発をするのだ。
つまり、毎朝、生まれ変わる。朝晩の、よき習慣を身につけたい。
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https://minimum-rich.com/book201808/ 【美しく生きる人は毎日生まれ変わる】より
横田真由子の書籍『美しく生きる人は毎日生まれ変わる』 大和書房
生きていると、いろんなことがあります。
毎日、心が揺れたり、戸惑ったり、ふと将来のことが気になったり・・・。
この本には、そんな自分をねぎらったり、手をかけてあげたり、思いやりを持って接してほしいという思いを込めました。
いつも頑張ってるあなただからこそ、たまにはちょっとひと休みして、この本を片手に、自分をねぎらってあげませんか?
あなたなりの疲れた日の羽ののばしかた、修復のしかたが見つかります。
回復力をつければ、未来を変えることができます。
Chapter1
心を見つめる
心にスペースはある?疲れたときは自分を褒める 泣きたければ泣けばいい
モヤモヤ期はいつか終わる イライラと付き合う やめたいときの対処法
Chapter2
五感を満たす
夜に身体を解きほぐす 自分だけの香りを持つ 大人の女性に効くショコラ
バスタイムに「特別」を ボディケアをプロに委ねる ゴールデンコーナーを作る
くたびれたら、一輪の花 触感を大切にする
Chapter3
ゼロになる
捨てる習慣を持つ 掃除で流れをよくする 使い捨てず、手入れする 素の自分でいられる場所へ 自堕落な時間を過ごす 無心になれることを持つ
Chapter4
自分軸を取り戻す 振り返りの時間を少し 手書きノートで人生が動く ぼーっとする時間を持つ 宝箱をひらいてみる 響いた言葉を書く ピンチのときはチャンス 自分への問いかけを習慣に フィクションに浸る 悩んだら、やること 自然と溶け合う
Chapter5
今を喜ぶ
今、この瞬間を感じる ひとりごとを意識する いいことを抽出する 成功で次の成功を呼ぶ 上質の普段使いをする
Chapter6
心の栄養をとる
自分だけのパワースポット 大切な言葉を反芻する 友人という財産 広い場所へ出かける
好きなら、やってみる 一流のものにふれる 大切な人へ思いをめぐらす
Chapter7
人生を育てる
尊敬する人に会いに行く 暮らしに余白をつくる しなやかに生きる儀式 本の世界に旅する 夢が叶った時を想像する ライフワークを育てる
Facebook相田 公弘さん投稿記事【 新しい人生の始まりです。 】
誰だって思い出したくもない汚い過去くらいあります。けど、そこで学べたことは沢山あったはず
あなたは人生においていつか気づくことになる誰があなたの人生で大切なのか 誰が大切でなかったのか 誰がもう大切ではないのか 誰がいつまでも大切な人であるのか
人は「 過去 」に学び「 未来 」を築いていける だから過去に会った人々のことで 悩むことはもうやめなさい それが苦しいなら 今日から「いい人」を きっぱりやめなさい
その人たちがなぜ あなたの今の「 人生 」に いることができなかったのか...必ず理由があるんですさぁ、今から新しい人生の始まりです。
- 大切なあなたへ -
FacebookAyuka Mizoguchiさん投稿記事
誰でも拘束されたり、監視されるより自由でいたいですよね。でも、実はそれを一番自分にしているのは自分かもしれない。ほんとうの意味で自由になりたいあなたへ♪
https://ayukablog.wordpress.com/2021/04/16/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%8b%e3%82%89%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8b%e2%99%aa/?fbclid=IwAR3IaLDjCCwANgZ-vIBuQqemJiit0Yyf7uoRXBdQGfSqXxzKkMoN3a1QGNY 【自分から自由になる♪】より
「私という自己はいない」。前回の続きです。しかし、当然私たちは「(個)の自分がいる感覚」が満々にあります。 そして個がいる限り、分離があり、分離がある限り所有がありますね。つまり、私の思い、私の体、私の感情、私の人生、私の親、私のパートナー、私の子供、私の家、私の仕事、私の夢・・・・。
これ自体は何も悪くありませんし、分離のゲームを健全に生きるには、境界線を引くこともとても大切です。
しかし、この所有感覚が強ければ強いほど、私たちはこれらをコントロールする必要がでてきます。自分の領土、資源を守る、できればもっと領土を広げたい、自分の利権や権力を守る、それらは多ければ多いほど良い・・・。地球上で起きている争いの多くはここにあるとも言えるでしょう。
また、もっと個人のレベルでも、私の子供の進学はなによりも重要だ、私の老後はお金の心配がないようにしたい、などなど。言い換えれば、自分の人生は自分が思うようになっていないといけない・・・。
そしていろいろ思い通りにしない中で、実は最も大切なのが、どんな自分であるのか?なんです。自分は自分だけが所有していて、その自分は何よりも一番大切。馬鹿な自分ではなくて、優秀な自分でいたい。嫉妬しまくっている自分ではなくて、心優しい自分でいたい。孤独な自分ではなくて、みんなから愛される自分でいたい。
どんなに権力、財産、パワーを有していても、最後まで気になるのがどんな自分か?なんですね。例えば、もうすでに権力もお金もあるのに、さらに求めている人がいるとしたら、それはお金や権力が欲しいのではなく、「それができる自分」でい続けることが大切。
なぜならそれが一番の安心感と満足感を与えてくれるからです。つまり、良い自分でい続けること。(根本的には愛の欠如、そして本質からの分離を埋めたい)
ということで、個の自分が一番気にしているのは、自分という所有物をコントロールすることです。じゃぁ、どうやってコントロールするのか?
そう、こうやって良い自分でいたい、良い自分にするのだというミッションの元、私たちの中に「コメンテーター」が生まれるのです。これはオープン・アウェアネス・ダイアローグの講座の中(気づきの問いかけ講座でもやります)で説明している「もう一人の自分」です。
個の自分というのは、基本的に存在しない幻想の自分です。その「幻想の自分」の中に二人の自分がたいていどの人の中にもいます。
人生いろいろあるなか頑張って生きている自分とコメンテーターの自分です。コメンテーターは基本的に頑張って生きている自分の監視役です。
例えば、頑張って生きている自分がありのままでいると、コメンテーターが、“ありのままのあなたは受け入れてもらえないよ”とか、“ありのままでいると嫌われるよ”、“もっと笑顔を振りまかないと、そんな話題つまんないし”などなどと注意してきます。
または、やさぐれたコメンテーターなどは、“どうせ誰もあなたのことなんか好きじゃないんだから、ふてくされちゃえ”、“どうせ嫌われるんだから、その前にみんなを嫌ってやれ!”、“嫌われる自分なら知っているから、嫌われる振る舞いをわざとしちゃえば?”といったコメントもしてきます。
とにかく常に自分の言動をジャッジし、良い悪いのレッテルを貼り、誰よりも厳しく監視している自分です。
このコメンテーターの声が大きすぎると、自分を見つめるとか、自己ワークなどもなかなか難しくなります。例えば、悲しんでいる自分に対して、“もっと大変な人もいるんだから”とか、または自己啓発やスピにそまったコメンテーターは、“これもベストのタイミングで起きている”、“すべては学びだ”と語りかけてきます。
しかし、コメンテーターがやっていることは、そうやって悲しいというピュアな感情に蓋をしてしまっていることです。
ちなみに自己啓発、スピのコメンテーターは基本的に正しいことを言っていることも多く、また優しい言葉であることも多いでしょう。なので、非常に気がつきにくいのですが、自分がスッキリしていなければ、蓋になっているだけなんですね。
さて、このコメンテーターは自分だけではなく、周囲も監視しています。つまり人の目を気にしているのです。人からどうやって見られているか?は、自分という所有物を良くするために非常に大切です。
ところがここで一つ大きな問題があります。
それは、コメンテーターに見えている”人の目”は、ほんとうは自分の目だということです。つまり、ものすごく主観的な判断でほとんど役に立っていないんです。しかし、そこに気づいていないために自分で自分を縛るという一人芝居の苦しみ(または喜び)に陥ってしまいがちです。
例えば、抑圧投影を学んでくださった方はお分かりだと思いますが、“私は田舎者だから服装に気をつけるべき”という思い込みをコメンテーターが持っていたとしたら、他者の目がいつも自分の服装を見ている(ここが投影です)ような気がして緊張感がある・・・など。
ものすごく大雑把に言ってしまえば、コメンテーターの目が厳しければ、人の目も厳しくなり、コメンテーターの目が優しければ、人の目も優しくなりますね。
さて、話は一番最初に戻り、そもそも頑張っている私もコメンテーターの私もいないのなら、一体ここで何が起きているのでしょうか?
そこにあるのは、自分がいるという思い込み(思考です)、感情、体(体感)が複雑に絡み合い様々な反応をしている動きがあるだけです。そして、それらすべてに気づいている意識があり、気づいているのは幻想の自分ではありません。
わかりにくいでしょうか?追々説明させてください。
いずれにしても、頑張っている私もコメンテーターの私も気づきの意識の中で現れ、許され、受容され、無条件に愛されています。だからどんな自分でも大丈夫♪
コメンテーターでなく、本質である気づきの意識の視点に立ったとき、私たちは自分をコントロールし続けるストレスから解放されますね。
コメンテーターの自分から自分を解放し、本質の視点から自分を生きる♪