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「宇田川源流」【日本万歳!】 善光寺の「御開帳」に日本全国から人が集まるという日本人の信仰心

2022.04.17 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 善光寺の「御開帳」に日本全国から人が集まるという日本人の信仰心


 月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや日本人の国民性をお話しし、その中で日本人のすばらしさは、私たちの舞地にの生活の中や意識の中にも入っているということを示すことによって、我々一人一人が自信をもって物事に対処できるようにするということを目的としている内容である。

実際に、日本人は、「私何もできない」と思っている自信のない人でも、海外において「何でもできる」というような人々よりもはるかにレベルが高いことが少なくない。もちろんそれは海外の人がレベルが低いなどといっているのではない。ある意味で「海外の人の場合は何でもできるようあスーパーマン的なヒーローやヒロインがいる」ということがあるかもしれないが、しかし、「一般の人々を平均してしまった場合にはそれほどのレベルには達しない」ということがあるのではないか。そのような状況であるから、1人のリーダーのリーダーシップに多くの人が付いて行くという形が理想形になっている。

しかし、日本の場合は、1人のリーダーによる独裁的な内容が良いわけではない。日本の場合は、傑出したリーダータイプの万能なヒーローやヒロインがいるわけではない。しかし、一人一人が個性がありなおかつ得意分野がありながら、ある程度全ての分野に及第点を取ることができる人々が集まり、その人々が知恵を出し合うことによって、ベストに近いものを生み出す能力を持っている。どんなにすごいヒーローやヒロインでも、1人でできることは限界があるが、日本人の場合は常に集団でやり、末端の人々までが皆「当事者意識」をもって行うことになるのである。そのことが総合力としての日本人の斯波らしさを生んでいるだけではなく、日本人の中においては、末端までがリーダーと同じ当事者意識をもっていることによって、「意識の変化」から「海外の人よりもレベルが高い」という現象が生まれてくるのである。

ではなぜそのようになっているのか。そのことは、様々な意味で日本人がそのような国民性を持っているということに他ならないのであるが、しかし、それだけではなく、日本人の死生観においても何か秘密があるのではないか。

善光寺で「御開帳」=コロナで1年延期、88日間―長野

 長野市の善光寺で3日、数えで7年に1度の「御開帳」が始まった。秘仏の本尊を模した「前立本尊」を公開する行事で、新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期されていた。分散参拝を促すため、期間は6月29日までの88日間と、記録が残る1730年以降で最長となる。

 午前6時20分ごろ、本堂奥の厨子(ずし)の扉が開かれ、金色に輝く前立本尊の姿が現れた。長野市の主婦中島美紀さん(58)は夫と2人で見守り、「心が洗われるような気持ちになった」と感慨深げに話した。平和な世の中や、家族の健康を祈ったという。

 前立本尊は、右手に結ばれた金糸や「善の綱」と呼ばれる白布によって、本堂前に立てられた高さ約10メートルの回向柱(えこうばしら)とつながっている。柱に触れると、前立本尊に触れるのと同じ功徳を得られるとされ、晴天の下、柱の前には多くの人が並んだ。

 新潟県長岡市から妻と姉夫婦と一緒に来た相沢篤さん(73)は、2015年の前回も訪れた。「(当時は)家内安全と商売繁盛を祈り、きょうはそのお礼を言いに来た。次回も元気ならまた来たい」と笑みを浮かべた。 【時事通信社】

2022年04月03日 11時37分 時事通信

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-1557957/

 善光寺とは、長野県長野市元善町にある無宗派の単立仏教寺院。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏とされている。日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済が挙げられる。

白雉5年(654年)より絶対秘仏とされている善光寺の本尊「善光寺式阿弥陀三尊」は、天竺の月蓋長者が鋳写したものとされ、百済の聖王(聖明王)を経て献呈されたか、難波の津に漂着されたものとされる。日本に来るも廃仏派の物部氏によって捨てられる(一説に和光寺)が、本田善光に拾われ、小山善光寺から信濃の元善光寺に、次いで現在地に遷座したと伝えられる。

善光寺の公式ホームページによると、善光寺の由来は本田善光であり、本田善光が善光寺如来を信濃国に持ってきたとされている。

善光寺のホームページには「牛にひかれて善光寺参り」という章がある。その部分をそのまま抜粋しよう。

昔、信濃国小県の里に心の貧しいおばあさんが住んでいました。ある日、川で布を洗い干していると一頭の牛が現れ、角に布を引っかけて走り出しました。その牛を追いかけて、おばあさんがたどり着いたのが善光寺。

日が暮れてお堂に入ってみると、光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ思いすごすな 仏の道に汝を導く己の心を」と読めました。すると、おばあさんはすっかり信心深い人間に生まれ変わりました。後日、近くの観音堂に詣でると、観音様の足元にあの布が。おばあさんは牛は仏様の化身と知り、ますます善光寺への信仰を深め、めでたく極楽往生をとげました。この仏様が小諸の布引観音といわれています。

<以上抜粋>

 まあ、このような感じで地元でも多くの人の信仰を集めている。

さて、ここまで来てお気づきであろうか。「日本には宗派とは関係のない寺院が存在する」ということと、「男尊女卑の世の中においても女性の救済をうたった寺がある」ということ、そのうえで「神道の国なのに、仏教の古刹があり、民衆の信仰を集め、御開帳には何万人も集まる」ということである。つまり、日本人は現在言われているような話ではなく、性別も身分も宗派も信仰(神道か仏教か)ということも関係なく、神(仏ですが)は等しく人々を守るということにっている。その感覚が、「人が役割分担をして一人一人の自分の行うことを行う」ということになるのではないか。全知全能の神がいるところは、全知全能の感覚を持とうとする。しかし、日本人の場合は、等しく差別なく、神や仏が見てくれるということになるので、一人一人が逆に個性を持ちそれを出し合うこと、(神や仏の下に集まること)で力を発揮するということができるようになったのではないか。そしてその文化が、善光寺開山、つまり、飛鳥時代から続いていて日本人の国民性に寄与してきたのではないか。

このように考えると、日本人は古来から、「集団で物事を対処する」現代流に言えば「1足す1は無限大の大きさになる」というようなことを考えていたのである。