中学の同級生Gくんの話
去る8日。
ゆーゆーが愛知でサポート演奏の準備をしている頃、
ひがしは新宿でライブのゲストに呼ばれていた。
自分が作ったトラックで曲を歌って下さる方が複数いて、そのトラックのハコでの鳴りとかを直接確認に行ったり、今後の話を詰めていた。
いきなりだが、レコーディングが好きである。
昔から思っていることだが、ライブは体育祭、レコーディングは文化祭だ。
文化祭で展示される風景と訪れるお客さんの顔を想像しながら、自分が漠然と掴んでいるゴール(画)に『似せる』作業だと思う。
今でこそDTMは身近になり、多くのボカロPやnana使いが世に溢れているが、今考えると、僕のDTMのルーツは中学時代にいじった4トラのMTRで、音楽の先生は同級生のGくんだった。パソコン機材、高かったのよ(笑)
僕の世代は『ハモネプ』の直撃世代で、当時アコギの手解きをGくんから受けながら、早速二人で仲間を探した。
山下達郎さんの『オンザストリートコーナー』(洋楽スタンダードを多重録音したアルバム)を聴いて勉強したり、歌本のコード進行を単音分解してコーラス譜を書いたりした。
その後僕は高校で軽音楽部に入って、エフェクター付きのポータブルMTRを使ってギターをダビングしたり、どうすれば良い音でマイキング出来るか?等をひたすら研究した。
Gくんとは疎遠になってしまっていたし、バンドを組む事に主眼はなく、自分のやりたい音楽探しに懸けていたところもあったので、専ら独りよがりの活動だったが。
しかし、当時の経験での、ずっとセンター位相でダビングを繰り返して、『何で俺の曲はこんなにこもるんだろう?』と思えば、eqやパンの仕組みを自分なりに発見したり、好きなCDのミュージシャンクレジットを見て、どの楽器がどの位相でどれくらいの音量でバランスを取っているか?などの研究は、今も自分の中のベースになっている。
誰かに教われば早かったこともたくさんあったが、自分なりに発見したことはその『彩度』は明確に違うし、自分の実体験が伴うのでその後の説得力が違う。発見すれば、明らかに『嬉しさ』がある。
その嬉しさでもって、今までポップスと言う概念に自分なりに取り組んで来たきらいがある。
15年前、Gくんにギターを教わったり、ハモネプやろうよという話をしなかったら、今日の僕は存在しないかもしれない。
彼はとっくに音楽を辞めてしまったかも知れないが、それはそれで人生だし、30にもなって音楽を辞められなかった一方、新しい仲間から刺激を頂く僕もまた、ある意味彼が導いた導線の結果だと言える。
年明けに中学の同窓会の話が来た。
彼は、そこに現れるだろうか。
僕は彼と、何を話すだろうか。