”なりたかった自分”を手放す
”なりたかった自分”という言葉を聞いて思い浮かぶものは何ですか?
私は就活生の頃(もう10年近くも前・・・)描いていた将来の自分像を思い出します。
その頃描いていた30代の自分は、子育てしながらバリバリ仕事もして、趣味も続けて、というバランスのとれた生活を楽しんでいる姿。
さらに年下の女性から憧れられるような存在だったらいいな、なんて夢見ていました。
そして、今。
夫の海外赴任をきっかけにフルタイムの仕事から離れ、子育てもしていません。
大好きで一生続けようと思っていたアカペラも、今はしていません。
世界中からアメリカへやって来た友人と出会い、新しい価値観を知り、英語を磨ける今の環境ってとても幸せだなぁと思う日もあれば、すごく落ち込んだ気分になる日もあります。
すごく落ち込んだ気分になる日、私は”なりたかった自分像”に苦しめられているんです。
「あの頃なりたかった自分と、今の自分はなんてかけ離れているんだろう」と考え始めると、「自分の努力が足りなかったんじゃないか」「違った選択をしていれば、全てを手に入れられていたのかな」など、どんどんネガティブなループに陥ります。
でも、ふと疑問に思ったのが、”なりたかった自分”だけが正解なのか?ということです。
就活生の頃と、社会経験を経た今では出会ってきた人の数が違います。
例えば、未婚・既婚、働いている・いない、子どものいる・いないに関わらず「この人のこんなところが素敵だな」と感じる方にたくさん出会ってきました。
つまり、就活生の時には気付けなかった素敵な生き方にたくさん出会ってきたんです。
それらを振り返った時に、自分の描いていた”なりたかった自分像”ってなんだか表面的だったな、薄っぺらかったなと感じました。
もちろん、「仕事も、家庭も、趣味も」という姿ってかっこいいし、今も憧れる気持ちはあります。
でも、大切なのは、それらの条件ではなく、「自分の選択に責任を持って、人生を楽しんでいるか」という姿勢なんだと気付きました。
だから、”なりたかった自分像”はもう手放そうと思います。
これから日本に帰り、どんなバランスで仕事や家庭や趣味に取り組んでいくのかはまだわかりません。
でも、その時その時で、自分にとってベストな選択を、自分の意思で積み重ねていきたいです。
就活生の時の自分よりも、今の自分の方が好きだし信頼できる。
だったら、自分が積み重ねてきた選択や、その結果としての今の自分にもっと自信を持っていいんじゃないかな、と思います。
”なりたかった自分像”を思い浮かべて、モヤモヤしたり、落ち込んだりしている人がいたら、一緒に手放してみませんか?