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Anima〜healing space〜

品性に欠けるところはありませんか?

2022.04.17 14:15





最近、『品』という言葉がとても気になります。










いらっしゃいませ。



遊びにきてくださりありがとうございます*








mytree 大島りかです。


その人が、その人らしく生きること。

その人の木を大きく育めること。


自分がフリーで活動をする為の屋号を考えたとき、どんな屋号にしようか。

ふと、”わたしの木”という言葉が浮かんできました。

そんな願いを込めてmytreeという名前にしたことを思い出しました^^






わたしの話はさておき、

本日は品性についてのお話を残したくなりました。







みなさまの周りには品性のある人はいらっしゃいますか?

どのような方が品性あると感じますか?






ふと品性という言葉が目に留まり、

色々調べていましたら

”品性にかけるところはないか”

という、上廣榮治さんという方のコラムを見つけて読んでみました。

とても面白かったので、

私個人的に心動いた箇所を抜粋してご紹介致します。




*******************




”品性に欠けるところはないか”


『品格』とか『品性』という長い間忘れられていた言葉をしばしば目にするようになりました。

近年、品性において数れた人が少なくなり、逆に品性に欠ける人を見かけることが多くなったことを危惧し、危機感を持つ人が増えたためだと思われます。



では、『品格がない』とか、『品性に欠ける』とはどのようなことを言うのでしょうか?

数学者の藤原正彦さんは『国家の品格』という著書の中で

品格とは「卑怯を憎む心」だと言っている。


作家の曾野綾子さんは、ある雑誌に

「日本人が子どもにおもねるような民主教育なるものをし続けた結果、これほど早く国民が品性と知性を失うとも思わなかった」と嘆いていた。

この場合の品性に欠ける人とは、『与えられること』だけを要求して、『与えること』は損だと心得ている人のことです。



また、同じく作家の伊集院静さんは、ある新聞で

品性とは「目の前にあるものを取りにいかないこと」であり、これは自分にとって大切な事だという意味のことを語っていました。



辞書を引いてみると、品格とは品位。気品のことで、

品位は人に備わっている人格的価値、

気品は「どことなく感じられる上品さ、気高い品位」です。

そして品とは、「人や物に備わる好ましい様子」だといいます。



和英辞典を引いてみると、

品や品格は「taste(テイスト)」などと出てきます。

そして、テイストを英和辞典で引いてみると

『審美眼』『鑑賞力』『判断力』『品』『センス』という意味がありました。

また、上品は日本語にもなっているように『elegant(エレガント)』

優雅で魅力的なこと、内面からにじみ出てくる品のよさです。



このように外国語を媒介にすると

品格や品性、品位や気品などの”品”のあるなしを分けているものが何であるかが見えてくる。

品があるための条件は、

人として美しいとはどういうことかを知る『審美眼』を持っており、

人として醜い言動をしない『判断力』を備えていて

バランス、つまり『センス』がよく、

優雅であり、魅力的でもあることです。

つまり、知性的で調和がとれていて、

美しく奥ゆかしく、洗練されていることです。



これに対して品格や品性が劣るというのは、その反対で

無教養で調和を欠いて、醜く自分勝手で粗野であることです。

むき出しの『利己心』などは、その最もたるものだと言えるでしょう。



こう考えてくると、冒頭の三人の方が言わんとしていた品格や品性についての共通点も見えてきます。

「卑怯」であるのも、「与えられること」を要求しながら、

「与えること」は損と心得るのも、「目の前にあるものを取りに」いってしまうのも

すべてあさましい利己心のなせるわざです。

利己心をむき出しにして、恥じないこと

それが品性がないとおっしゃっているのです。


謙虚であることが品位にとって大切な事だという。



古代ローマの歴史家、タキトゥスは

「あらゆる情熱の中で最も醜いのは権力欲だ」と言ったといいます。

しかしその後も、多くの権力者たちが他人を支配し、従わせるために多くの人命を奪ってきました。

これこそ最も利己的で、品性に欠けた醜い行為です。


このように洋の東西を問わず、また時代を問わず

人間としての品格、品性、品位等、

品の基準は一つなのです。

いかに自分勝手な利己心を抑えられるかにかかっているのです。



しかし、現代社会には利己心に囚われた人

すなわち、品性に欠けた人々があまりに多く、目につくようになりました。

むやみに自分の意見にこだわって、

これを言い張る人。

地位を利用して不正をなす人。

他人の迷惑を顧みることが出来ない人。

何をするのも自分の勝手だと思っている人。

権利ばかりを主張して義務や責任を思わぬ人。

そして金がすべてだと考えている人。

いずれも品性に欠けた下品な人たちです。




挙措動作の美醜にも、その人の品格は表れます。

電車の中で大足を組んでいる人。

化粧をする人。

傍若無人に大声で話す人、

道端にぺたんと腰を下ろしている人、

そして醜い姿勢で歩く人。

いずれも他人は眼中にない自己中心的な心の現れです。



これが戦後60年の「個性尊重」の教育を得た結果なのです。

個性尊重の教育とは、人間として優れた個性、品格のある個性を伸ばす教育であるはずです。

それが「私」を「公」に優先させただけのことに終わってしまったのでしょうか。

公のことを思わない。

自分勝手主義だけを伸ばして、

大量の品性に欠けた個性を生み出してしまったのです。



もしも私たちの社会が、己があって他があることを知らない利己心ばかりの社会になれば、人と人との絆は切れて、社会は崩壊するしかないのです。


では私たちの品性はどうなのでしょうか?

3つの恩を忘れないのも、人の悪を言わず、己の善を語らないのも、

気づき即効するのも、腹を立てず不足の思いをしないのも、

そのすべてが、謙虚で誠実で人を思いやる実践です。

そして『我も人もの仕合わせ』という大目標こそ、

自分さえよければ良いという利己心とは対極にあるものです。

『人と人とを愛和で結ぼうという心』です。



とすれば、真の実践者はその品格、品性において優れているということになるはずですが、

果たしてみなさんは品性に欠けるところはないでしょうか。

利己心に囚われていることはないでしょうか?





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という一部抜粋させて頂いた部分のご紹介でした。


私個人的には、とても心に響きました。

私自身が、社会を見ては違和感を感じ続けて共感をした部分でもあります。



品のある人。エレガントな人。

果たしてその人が本当に品があるかどうか、

物音だったり、歩き方だったり、奥の細かい部分に現れるのですよね。

丁寧さ、気遣い、なのでしょうか。。



改めて丁寧さや謙虚さを大切にしていきたいなと感じる今日この頃です。









『個を活かす』


というのも、大事なことではありますが

その言葉をそのまま鵜吞みにすることは、とても危険なことです。

この社会の中で調和をしながら個を活かして生きていく

ということはどういうことなのか。

その為に自分には今、どのようなことが必要なのかを

常に考える必要があります。



前職では主に人事のマネジメントや若手スタッフの育成をしていましたので

日本各地の様々な人たちと話し合い、

話し合いを重ねたりすることも多々ありました。


相手がどのような意図で言っているかを、

自分自身でしっかり判断できる経験と判断する力、

その為に自分を保つ力がなければ飲み込まれてしまいますよね。


それが単なるわがままであったり、自分の我を通すこと

という意味で言っている方もいますのでね・・・。

人のお話を聞くことが多い方は、ご注意くださいませ^^








最後までお読み頂き、ありがとうございました。





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