「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 急に恐ろしくなった源頼朝と様々な伏線が埋め込まれた「神回」であった第15回「足固めの儀式」
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 急に恐ろしくなった源頼朝と様々な伏線が埋め込まれた「神回」であった第15回「足固めの儀式」
水曜日は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、私の思うところを自由に書いている。それにしてもこの前、第15回の物語は見ごたえがあったという感じが一番正しい表現ではないか。基本的に「上総広常の最期」というところは、物語の上でなかなか素晴らしい書き方になっている。そもそも演技派の佐藤浩市さんと大泉洋さんの関係があり、なおかつそこに梶原景時役の中村獅童さん、そして主役で北条義時役の小栗旬さんと、いう人々の暗殺場面は、かなりすごかった。
さて、まずは愚管抄にどのように書いてあるかをもとに、実際の話を見てみよう。上総広常は元々は桓武平氏の流れを汲んだ人物で、関東の豪族平良文の流れとなる。ある意味で平将門と戦った房州平家の惣領の家柄であり、元々の関東豪族における平家の棟梁であったといえる。
上総権介が官位であり、それが代々続いていたことから「上総氏」を名乗る。広常は、鎌倉を本拠とする源義朝の郎党であったが、平治の乱では義朝の長男・源義平に従い活躍、義平十七騎の一騎に数えられた。平治の乱の敗戦後、平家の探索をくぐって戦線離脱し、領国に戻る。このようなことから、平清盛が他の人物を上総国守にしたことから、平家と争うようになり頼朝の挙兵に従うようになる。頼朝の挙兵時の広常(および千葉常胤)の参陣・挙兵は、行き詰まった在地状況を打開するための主体的な行動であり、平家との関係を絶ち切り、実力によって両総平氏の族長としての地位を確立した。
寿永2年(1183年)12月、謀反の企てがあるとの噂から頼朝に疑われた広常は、頼朝の命を受けた侍所所司の梶原景時に鎌倉の御所内で暗殺された。景時と双六に興じていた最中、景時は突然盤をとびこえて広常の首を切ったとされる。嫡男・上総能常は自害し、上総氏は所領を没収され千葉氏や三浦氏などに分配された。寿永3年(1184年)正月、広常の鎧から願文が見つかったが、そこには謀反を思わせる文章はなく、頼朝の武運を祈る文書であったので、頼朝は広常を殺したことを後悔し、即座に広常の又従兄弟の千葉常胤預かりとなっていた一族を赦免した。
愚管抄によると、上総広常単独の謀反の疑いのように書かれているが、ドラマでは三谷幸喜氏の解釈により、関東豪族が全て謀反を企て、大江広元の策によって、上総広常をそこに潜入させ、スパイをさせながら最終歴に全ての責任をかぶせたというような形になっている。私個人は愚管抄の記載よりも、三谷幸喜氏の解釈の方がすっきりするという感じである。その理由は後半に話をしよう。
鎌倉殿の13人:“つらすぎる”上総介の最期 佐藤浩市「何か、俺は間違ったのか」 義時にほほ笑んだワケも
俳優の小栗旬さんが主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(総合、日曜午後8時ほか)第15回「足固めの儀式」が4月17日に放送され、佐藤浩市さん演じる上総広常の“最期”が描かれた。御家人たちによる謀反のスケープゴートとされ、源頼朝(大泉洋さん)の命を受けた梶原景時(中村獅童さん)に命を奪われた上総介。「上総介の最期、つらすぎた」「ひどすぎる」「涙が止まらない」などと視聴者の間で悲しみが広がっている。
ドラマの公式ツイッターでは、佐藤さんの音声コメントが公開。“上総介の最期”について、「『何か、俺が間違ってた部分があるかもしれねぇ』という感じです。広常という人は決してすごく学のある人ではなかったにせよ、頭の悪い人ではないんです。戦のやり方も分かっている、人への食い込み方も分かっている。でも『何か、俺は間違ったのか』っていうことをふと思ったときに、義時(小栗さん)を見て『お前は俺になるんじゃねぇ』という思いが湧いて、最期のああいう笑顔になったんじゃないかなと思います」と振り返った。
第15回では、源義経(菅田将暉さん)率いる一軍が迫っていると知った木曽義仲(青木崇高さん)は、後白河法皇(西田敏行さん)を捕らえて京に籠もる。一方、鎌倉では御家人たちが謀反を計画。広常も加わり、義仲の嫡男・義高(市川染五郎さん)を旗頭とし、都ばかりに目を向ける頼朝の失脚を企む。
義時は、御家人たちの計画を潰すため大江広元(栗原英雄さん)らと連携。広常とも、実は裏で通じていて、事なきを得たはずだったが、広元の筋書きには“続き”があった。
広元は頼朝に、見せしめとして誰か一人に謀反の罪を負わせることを進言する。その一人とは広常で、「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」という広元に対して、頼朝も「上総介は言った。御家人は使い捨ての駒と。あいつも本望だろう」と冷酷に言い放つ。そして広常は双六の最中、突如、刀を抜いた景時に斬られてしまう。
瀕死の広常を見下ろす頼朝。泣きながら駆け寄ろうとする義時と目が合った広常は、少しほほ笑んで、絶命した。
「鎌倉殿の13人」は61作目の大河ドラマ。脚本は、2004年の「新選組!」、2016年の「真田丸」に続き3度目の大河ドラマ執筆となる三谷幸喜さんで、野心とは無縁だった若者が、いかにして武家の頂点に上り詰めたのかを描く、予測不能のエンターテインメント作だ。
2022年04月17日 MANTANWEB
https://mantan-web.jp/article/20220417dog00m200044000c.html
今回は後の伏線が全て詰まっているといって過言ではない。まずは、木曽義仲が後白河法皇を拉致するという話は史実であるが、その時の鎌倉の事を無視した義経の「浮かれた討伐戦」はやはり何か異常を感じ鎌倉からの遊離を感じるものである。
それでも源義経は強い。そのことから、やはり信頼され、なおかつ「最も頼りになる男」となった。しかし、そのことは「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」というような内容になり、なおかつ「御家人は使い捨て」という言葉になり、そのことが源義経、そして源範頼との対立につながってゆくことになる。その伏線がこんなところで出てくるとは思わなかった。
一方、北条政子に関しては、この件で豪族に信望があることになる。そのことから、承久の乱において「尼将軍」といわれるようになる。「将軍の恩は」というようなことを射後鳥羽上皇に対抗するという形になったのは、有名な話であるが、まさに、その時の「政子と豪族の直接的なつながり」はここから出てくるということになるのであろう。
このように、今回の話がそのままこののちの全ての内容に関わってくる「伏線」が様々に存在し、今回の内容が後に繋がるようになっている。
特に、この上総広常の死に際して、北条義時が近寄ろうとした時に「近寄ればお前も切る」といった源頼朝に対して、上総広常が少し笑った。これは、それらの伏線をすべて「見えた」ということなのではないか。ある意味で、自分が死ぬことで、豪族がまとまることも見越していたし、また、頼朝自身が暗殺されることなどが全て見えたのではないか。まさにそのような伏線をすべて含んでいることが、というか伏線をはじめに仕込むのではなく、この時点で「因果関係」がしっかりと書かれている方が、物語として面白いのではないか。そしてその因果関係を各キャラクターの個性によって彩られた物語になっていることが非常に面白いのである。