イースターと黒島口説
最近はまってる沖縄の黒島に伝わる黒島口説。
くるしまくどぅち、と読みます。
黒島の目差主の宮良孫賢(1790-1849)作曲。
昨日4月17日の満月を迎え、
十六夜月夜、と歌詞に出てくる唄は
今のところ安里屋ゆんたしか知りません。
(時間かかりますが、開拓したいものです。)
満月と共に平和への祈りを込めて唄いました。
よかったらインスタへどうぞ。リンク
そしてこちらが黒島口説の4番と5番を
唄ったインスタです。
大好きな黒島口説を唄っていると、
ナゼかサバクイ、と言う琉球語が気になってました。
そしてフニヌテーショー、と4番のお囃子にありまして、
これは舟の大将です。
歌詞です。
4番 お囃子:
イヤイヤ ミグティルクグヮツィ
ナマドゥハリフルエ
フンヌアスィビヤ ウィーティワカサン
クシヤウサリティ スディヤフィチツィリ
イスイスハマウリ
ニシチマジリヌ ハナヌクムヤマ
ニヲゥヰフクフクサンサン
イヤ ワシタ サバクイ フニヌ テーショー
カジトゥイハヤシ ホーホー
マニクオージヤ フナクイサミティ
アリアリクグフニ ンチャリバ サティサティ
ウムシルムンサミ
ナマヌヒョーシニ クドゥチユミユミ
いやいや巡て六月今ど走りふるえー
豊年の遊びや老いて若さん
腰や押されて袖や引き連れ
いそいそ浜下り
錦交じりの花の雲山
匂ふくふくさんさん
いやわした*さばくい 船の大将
楫取り囃し ホーホー
招く扇や 舟子勇みて
あれあれ漕ぐ舟 見ちゃりば さてさて
面白ものさみ
今の拍子に口説 読め読め
*舵取りの囃しは ホーホー 招く扇は船頭を勇めてあれよあれよ漕ぐ船を見るとさてさて面白いものである
先日教会に訪れた際たまたま見た、「ラモ」。
イースター復活祭、パック、Pâques の準備だったようです。
この季節には、卵型、ウサギ型、魚型のチョコレートをよく目にします。
マリア様のアイコンによく描かれる魚、
キリストの象徴です。
いわゆる奇跡の釣り、pêches miraculeuses です。
ここでイースター復活祭について。
イースターのキリスト教の饗宴は、ヘブライ人のエジプトからの撤退(奴隷からの解放でしょうか)を
記念するユダヤ人の過越祭(ペッサ)にルーツを持っています。
イースターの日付は、3月21日の翌最初の満月の後の最初の日曜日にニカイア評議会によって設定されます。
今年は4月17日です。
満月と関係していたとは知りませんでした。
また黒島口説に戻ります。
最後の5番ですが、
この唄は終わりになるにしたがって
三線も唄のメロディも歌詞も
複雑になっていきます。
5番歌詞抜粋
眺む心は*有明けの月に思いぞ照り勝る 誠浮世のしるしさみ
眺める心は 明け方の月に思いこそ照り勝る 誠の浮世の予兆である
*有明けの月とは
「夜が明けても、まだ空に有る(残っている)月」という意味なのです。 満月を過ぎて新月を迎えるまでの月は、すべて「有明の月」ということになります。
お囃子:
イヤイヤ クルシマミドゥンヌ
ユビヌハマウリサミエ
ハマガニトゥランディ アシヤタカアシ
ユクアシツィカトティ
アリアリ アダンヌミカラ
ウフヅィミウチフイフイ
アギゼイザヘヰアブへヰ
ナマヌヒョーシニ クドゥチユミユミ
いやいや黒島みどんの
昨夜の浜下りさみえ
浜蟹取らんで 足や高足
横足つかとて
あれあれアダンのみいから
大爪うちふいふい
アギゼイザヘイアブヘイ
今の拍子で口説 読め読め
ヤアヤア黒島娘の
昨夜の浜下りであるが
浜蟹を取りたいために足は高足や
横足(高くあげたり横に)を使っていて
あれよあれよ アダンの穴から大きな爪をうち振ってきて
(囃子言葉 アギザイザヘイアブヘイ、不明)
今の拍子で口説 読め読め
もう一度、上記から抜粋:
「眺める心は 明け方の月に思いこそ照り勝る 誠の浮世の予兆である 」
*有明けの月とは
「夜が明けても、まだ空に有る(残っている)月」という意味なのです。 満月を過ぎて新月を迎えるまでの月は、すべて「有明の月」ということになります。
つまり今月4月でいうと、
イースター復活祭から次の新月までを指します。
「誠の浮世の予兆である」、
何を指すのでしょうか、、、?
「サバクイ」は誰を指すのでしょう、、、?
私の旅はまだまだ続きます。