置かれた場所で咲きなさい
Facebook相田 公弘さん投稿記事「置かれた場所で咲きなさい」
初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか“くれない族”になっていました。
「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。
その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。
岡山という土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。
私は変わりました。
そうだ。
置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。
人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、と決心することができました。
それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。
いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。
「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」
私は、かくて“くれない族”の自分と訣別(けつべつ)しました。
私から先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。
そうしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました。
「置かれたところで咲く」この生き方は、私だけでなく学生、卒業生たちにも波及しました。結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。どうしても咲けない時もあります。
雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。
その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。
次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために。
※出典元:(置かれた場所で咲きなさい ノートルダム清心学園 渡辺和子 幻冬舎)
https://note.com/shimada10708/n/nf97ccc232a9b 【「置かれた場所で咲きなさい」は、決して「その場所で我慢しなさい」ではないんですよ】より
2012年に発刊され、200万部を超える大ベストセラーとなった『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著/幻冬舎)。読んだことはなくてもこのタイトルを知っている人は多いですよね。
でも、この「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が、ラインホルド・ニーバーという米国の神学者の詩の題名からとられていることは、あまり知られていないのではないでしょうか。
ラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)は、「ニーバーの祈り」という詩の作者(とみられる)と言った方が分かる人は多いかもしれません。
ラインホルド・ニーバー - Wikipedia
ja.wikipedia.org
私は公務員向けの記事やSNSの発信、研修などでこの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を使うことがあります。
それは人事異動に対する公務員としての姿勢として、
「配属された部署で、与えられた仕事で、全力を尽くして幸せになりましょう。それが私たちにできる唯一かつ最善の行動ではないでしょうか」という主旨でお伝えしています。
でも、ときとしてそれは、文句を言っても仕方がないってことでしょ 次の異動まで我慢しなさいってことでしょ そんな風に理解され、受け止められることもあるようです。
言葉は受け取った人のもの。
そう受け取る人がいることは必ずしも本意ではありませんが、そう受け取る人を否定するつもりはありません。
でも、この記事を読んでくださっている皆さんには、本当の意味を知っていていただきたいのです。
「置かれた場所で咲きなさい」
この言葉をタイトルに持つ英語の詩は、本当は
「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せにするから」という意味なんです。
決して、「その場所で我慢しなさい」という意味ではありません。
英語の詩もその翻訳もネット上で探すといくつも見つかると思います。上記は原文の詩の私の意訳です。
原文はこちらです。
"Bloom where God has planted you."
Please bloom where God has placed you.
Rather than give up, make the best of your life and bloom like a flower.
To bloom is to live happily.
Let your joy make others happy.
Your smile is contagious.
When you are happy and show it by your smile
Others will know it and are happy too.
God has planted you in a special place.
If you know it share it with others, your personality will shine.
It is that "shine" which we call "Bloom"
When I bloom in the place where God has placed me
My life becomes a beautiful flower in the garden of life.
Bloom where God has planted you.
公務員の異動は転職のようだと言われ、自分の意志と関係なくそれまでと全く関係のない部署に配置転換されたりします。
確かに置かれる場所は自分の意志ではどうにもなりません。
でも、そこで何を為すか、腐るのか最善を尽くすのかは自分の意志で決められます。
そして、最善を尽くすことで充実感を得て、自ら成長することもでき、周囲の信頼や感謝も得られるとしたら、職業人としては幸せだと思うのです。
だから、最善を尽くすことを自分の意志で決められる人は、幸せになることも自分の意志で決められるはず。
ちゃんと職員一人ひとりのキャリアのことを考えて、一人ひとりにとって意味ある人事異動を発令するのが人事の責任。
それは確かにそう。私もそう思います。
でもね。
「人事がそんな風に理想的な人事異動を発令してくれなかったら幸せになれない」
そんな風に言ってしまったら、それは、
「人事がそんな風に理想的な人事異動を発令してくれるまでは幸せになれなくてもいいよ」
そう言うことと等しいと思うんです。
自分の幸せを人事に委ねるんですか?自分の幸せくらい、自分で責任を持つ。
自分の人生のハンドルは自分の手で握る。そのために「置かれた場所で咲きなさい」つまりは「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せにするから」ということを大切にしたいなって思っています。
皆さんはいかがお考えですか?