#9 ひみつきち
ちいさな炭鉱町の空は春と初夏をいったりきたり、季節を決めかねているようだ。
音もなく降る雨が朝を冷やしたかと思えば、
日中、若い緑はその身に日差しをたんと蓄え存分にひかりを放っていた。
わたしが通う小学校の敷地の一辺は背の高い笹薮となっている。
それは学校と外とを区切るフェンスの役目も担っていた。
気温上昇とともにたがが外れるのか
ある一定数の衝動を抑えきれない男子達が幾度となくそこを越えようと躍起になる。
結果甲斐なく、たんまりと叱られてうなだれることになるのだが、懲りない彼らをつどわたし達は呆れ顔で眺めていた。
彼らには教えてあげないけれど
笹薮の正しい使い方は、断然秘密基地だ。
「バカだね」
「ね」
「こりないね」
「ほんと」
昼休みである。
4,5人の男子が笹をガサガサと音をたてて分け入ってくるのが隙間から見えている。
ちらちらと見え隠れする服は一様に半袖半ズボンで、尖った笹で怪我をしないかとひやひやしてしまう。
「今日は出れるかねぇ?」
「どうだろうね」
わたし達は、少し離れた笹薮の中から彼らの愚直な挑戦を見物していた。
声をひそませてはいても、自然その高揚感はこちらまで伝わってくる。
押し合いじゃれあいしながら、一進一退している様はさながらドリフのコントのようだ。
間もなくして薮を抜け、その先の赤土の崖をタタタタタ!と駆け下りていく音がした。
「出た!?」
「おお~」
と、そこでチャイムが鳴った。
外に出た男子達にも聞こえたはずだが、それどころではないらしい。
飛び跳ね、小躍りし、げんこつを突き上げて達成感に浸っている。
だめだこりゃ。
今日も五時間目に遅れて、先生にしこたま叱られることだろう。
ひとまず彼らのことは見なかったことにして、そそくさと我らが秘密基地をあとにした。
そもそもその場所を見つけたのはまったくの偶然だった。
それは体育館裏のトイレ、という最も忌み嫌われている場所の掃除当番になってしまった時のこと。
(なにせそこは電気もつかない汲み取り式で、めちゃくちゃ臭い!)
班員は女子4名。
わりと仲良しメンバーだったのが唯一の救いだった。
学校の北側隅にあるそのトイレ。
体育館に隠れて死角となり、外掃除の見回りをしている先生もめったに辿り着くことがない。
そしてそこは笹薮フェンスの始まり(終わり?)の場所でもあった。
バケツとデッキブラシを使って、形ばかりの掃除を始める。
狭いので1人ずつ、息を止められる間だけ交代で入る。
「プハーッ!」と思い切り息をして外に出たわたしは、向かいのコンクリに勢いよく腰かけた。
ごつごつのコンクリートがひいやりと湿っぽい。
いつのまにか日陰が心地よく感じる季節になっていた。
「ちょっとこっち来て!」
4人の中でリーダー的存在の子が笹薮の近くからこっちに向かって手を振っている。
なになに?と皆で足早に駆け寄ると、
「見て」
彼女が指さした先に、まるで入口と言わんばかりにそこだけぽっかりと笹が生えていない箇所があった。
「入れそうじゃない?」
皆が思ったことを、彼女が言う。
頷きあって意思を確認したわたしたちは、そろそろと藪の中に入っていった。
そこは人一人がやっと通れるくらいの幅で、それなりの道となっている。
まだ行ける、まだ行ける、といざなわれるようにして辿り着いた先は丸くくりぬかれた空間となっていた。
「広い!」
「すごい!」
「明るい!」
「ここいい!」
めいめいが興奮してキャッキャとはしゃいでいる。
体育館裏とは思えない、まして笹薮の中とも思えない明るい異空間。
4人で座ってもまだ余裕のある広さが確保できている。
「ひみつきち!」
誰が発するでもなく全員一致、一瞬で決まった。
早速次の日から秘密基地メンバー4人での活動が始まった。
まずグループ名を決める。
当時放送されていた日曜朝の子供向けドラマからあやかり『〇〇探偵団』と名付けた。
(肝心の『〇〇』の部分がどうしても思い出せず、無念)
次にメンバーのための会員カードを作成。
表に名前や生年月日など個人情報を網羅し、裏には会員としての掟のようなものを何か条か記したように記憶する。
そして、そのカードにセロハンテープを隙間なく貼り付けラミネート加工もどきを施した。
さらに探偵団のアイテムである。
ドラマで見るトランシーバーのような物。
あれに憧れたわたし達はなんとかその’もどき’を作れないか頭を巡らせた。
結果、笛が採用となる。
(候補にはリコーダーもあがったが持ち運びに不便ということで却下)
会話はできないが、音は出せる。
何回鳴らすかや音の長さに意味を持たせるというアナログな仕様だ。
ここで意見が割れたのが、悪の組織を組み込むか否かということ。
ドラマにハマっていたわたしとリーダー格の子は「もちろん必要」派。
残り二人は「そんなのいる?」派。
数分間の激論の末、「マテンロウ」という名の悪役を設定する。
(確か「マテンロウ」はドラマからそのまま拝借)
のちにこのメンバーで実際にカードと笛を携えマテンロウを退治すべく1日がかりで山を捜索する、という冒険を決行したことは余談となるが添え置く。
さて、肝心の秘密基地である。
そこでの活動時間は最も時間がとれる掃除終わりの昼休みとした。
始めのうちはその場所を居心地のいいものに整えることに専念する。
たとえば、地べたに座っても汚れないよう古新聞を各自家から持ち出してくる。
もしもの雨に備えて使わなくなった壊れかけの傘を持ってきた子もいた。
わたしは母が教室にと庭から持たせてくれた薔薇や金魚草などの切り花を持参し、皆に喜ばれた。
昼休みが待ち遠しい毎日だった。
ある程度基地が整うと、今度はポケットに入るサイズの'内緒のいいもの'を持ち寄って自慢しあう。
いい匂いのカラフルなねりけし。
お菓子のおまけのこすって貼るシール。
ゴム跳び用の珍しい色のゴム。
キキとララのロケット鉛筆。
バービー人形の服。(人形はポケットに入らない)
「いいにおい~」
「いいな~」
「かわいい~」
「おそろいだ!」
もはや探偵団らしからぬ集いである。
が、10才のわたし達にとれば秘密基地に集まっていること自体がすでに探偵団ぽいのであって、なんの違和感も感じてはいない。
無邪気に毎日集まっては、こっそりコソコソ話に花を咲かせる。
そして時折、男子達の脱出劇を目撃してはひそかなる胸を昂りを覚えていた。
そんなある日の放課後。
探偵団らしく学校周辺をパトロールしていると、
初めて訪れた体育館裏あたりで見慣れた笹薮が目に入った。
すると先を歩いていたリーダー格の彼女が
「ねえ!見て!」
とまたもや何かを発見し、笹藪の方をさし示した。
皆で近づくと、彼女の示す先になんと我らが秘密基地が見えた。
「エーッ!なんで~??」
笹藪の奥に見えるあれは明らかに秘密基地だ。
なんなら敷き詰められた新聞紙や空き缶に挿した花があることで、秘密どころか余計に目立っている。
じつは男子達が脱出する北側ルートの先は崖になっているけれど、体育館裏西側の笹藪は直接通りに面しているということをわたし達は知らなかったのだ。
通りといっても、先は行き止まりのほとんど人通りのない道ではあるけれど。
「パトロールして良かったね」
「何か対策考えなきゃね」
などと話していると、
「キャ―――ッ」
と突然一人が叫んだ。
「なになになに?」
「あそこ!」
「なにっ?」
「人がいる!」
「え!?」
怖いような、見たいような、でも怖い!
わたしはほとんど開いていない薄目で恐る恐る藪の中を覗いた。
秘密基地より少し離れた場所。
笹藪が鬱蒼と生えている辺りに、チューリップハットを目深に被り、長い雨合羽を着たおばさんが立っている。
彼女はわたし達の騒ぎにも微動だにせず、太めの笹(もはや竹)にこびりついた鮮やかなピンク色の何かしらに夢中で齧りついていた。
「ギ、ヤーーー!」
首にぶらさげた笛をブンブン揺らしながら、あらんかぎりの声をあげて一目散に来た道を駆け戻る。
緩やかな上り坂がまるで平坦な競技場であるかのように飛ぶようにして走った。
上りきった場所で息を整え、ようやくわたし達は顔を見合わせた。
「なにあれーっ」
「なんか食べてたよね?」
「食べてた!」
「こわいーっ」
体をぶつける勢いでくっつけあいながら各々の感じた恐怖を体現し、なんとかしてそれを打ち消せやしないかと矢継ぎ早に言葉をついだ。
けれど結局、わたし達は泣く泣く笹藪の秘密基地を手離すことにしたのだった。
古新聞も古傘も空き缶の花も、ぜんぶ置き去りにして。
思えば誰かが作ったとしか思えないあの空間。
卒業生が作った説でわたし達の中では落ち着いていたのだけれど、
「ぜったいあのおばさんの住みかだよ!」
と、説は一転した。
こうしてわたし達は、マテンロウどころではない現実の悪役の出現に、退治はおろか手も足も出せぬままおとなしく白旗をあげた。
おばさんが齧りついていたピンク色の何かしらの正体も謎のまま。
探偵団はその機能を果たすことなく解散した。
か、に見えたが。
そこは未熟な子供たち。
秘密基地に味をしめ、あのなんともいえないうま味を捨てがたく思っている。
「つぎはあそこ、どお?」
わたしが見つけたのは校庭のブランコ奥にある大きな桜の木。
葉が茂って枝ぶりがよく、頑丈で、登りやすそうだ。
「いいね」
と、4人で好きな枝をそれぞれの部屋とし、昼休みに集まった。
しかし、そもそもが見晴らしのいい場所。
無論秘密などできずに、あれよあれよというまに枝という枝が子供でいっぱいとなってしまった。
すぐに先生に見つかり木登り禁止令が発令されあえなく退散。
ならば、と町で’山の神さん’と呼ばれるやしろ裏、あちこちにあった空き家など秘密基地は転々とする。
懲りないところでいえば男子とどっこいどっこいだ。
そのうちにちいさなわたし達は高学年となり、
シールやにおいけしより、ローラースケートを履くアイドルや『りぼん』の漫画に夢中になっていく。
あんなに気に入っていた会員カードも知らぬまにどこかへいってしまった。
秘密基地活動、今度こそ、これにて閉幕。
そして時は、ながれ。
わたしが上京した後、町はすっかりハイカラに様変わりしてしまった。
真新しいマンションやショッピングモールの狭間で、けれど小学校だけは今もあの場所に時代を一身に湛えて残っている。
帰省して近くを通るたび笹藪の秘密基地を思い出すのに、そういえば一度も訪ねることをしてこなかった。
あの秘密基地を見つけて継いでくれた子らがいただろうか。
そしてそのたびに雨合羽のおばさんは現れたかしら。
もしくは頑丈な本物のフェンスに取って代わられたかもしれない。
今度帰ったらちゃんと確かめてみよう、とひそかに心に決めている。
なにせいい大人になった今でも、10才のわたしはわたしの中にいるのだから。
たとえばそれは、ちいさなリビングをアロマのサロン仕様に整えている時。
あれはこっち、これはあっち、とせっせと配置を変え、季節ごとに花や写真を飾る。
あるいは、友人を招いてお酒や料理を囲む時。
何がつまみやすくて好まれるかしら。
お酒のあとは甘いものでしめたいところよねと頭を巡らす。
そしてじつはここで、エッセイを書いている時も。
わたしの記憶の断片をどうつなげたら心地よくたゆたってもらえるかしら。
あら、ふふふ、そうね、まあ、おやおや。
誰かと、クスクスと内緒話に花が咲いたりもして。
と、まぁ、呆れる勿れ。
これらはすべてあの頃と同じ、ひそやかなる昂奮の類いであり
つまり笹薮の秘密基地は、未だわたしの中に澄まし顔で鎮座しているというわけだ。
するとすかさず10才のわたしが現れて
「あなた、またひみつきち作っているのね」
ひかりを透かす若葉のような目でキラキラとわたしに笑いかける。
大人のわたしはすこし気恥ずかしく、
けれど、つかのま、さわやかな風に吹かれる。
text by haru photo by sakura