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梨の日

風琴工房最終公演『ちゅらと修羅』

2017.12.13 07:49

風琴工房としての、最後の公演

『ちゅらと修羅』

@ザ・スズナリ





スズナリは来るたびに、あまりに違う空間に変わるなぁと。

好きだなぁこの劇場。。

草木と、まるで真逆のTV画面に覆われた今回にもすぐ胸掴まれたり。



私達が知らない沖縄のこと。

あまりにも分厚い時間を構築していて。

同じくタイムスリップしたり目の当たりにしたり。

こんなにも、どこからでも切り口があって

どこを切っても溢れてくる事実や歴史、現状を抱えている

国なんだなと。


演劇だし、ここは沖縄ではないし下北沢だし。

”フィクションであるけど、相当部分、分量が事実で創られた”

と言われて改めてハッとした。



途中のベトナム村の辺りから、受ける言葉があまりにも

圧があり思いが重く、涙が溢れてきた。

でも目の前の人物たちが およよとなっているシーンでは決してなく。

むしろ力強さの血気があるのに、止まらなかった。



説明というか、質疑や説明の言葉が多く、

しばらく「この登場人物の性格とは、、?」と

思っていたキタヤマさん。



ベトナム村のあとの、自分は言葉を諦めたという会話。

そしてその代わりに、貢献できるためにだけ言葉を使うんだと言ってた。(私の記憶があまり正しくないと思いますが。。)


ここに、彼の今までの役割が詰まっていて、ちゃんと描かれていて。

もう脱帽。

更にはこの辺りで、福島のことが過った。


福島の親戚がいるけれど、私は何も知らないし。

恥ずかしながら、結果的に行動も起こしてはいない。

けど、やっぱりこうやって思い起こしてしまうし

興味が根付いてるんだと知る。

福島の従兄弟は私に語ろうともしない、けど、

「直接じゃなくても、見る・聴く・知る、覚えててくれるだけでいいんだー」

って言ってくれてて。


きっと今作も観たことも、そう言った意味はとても強いのかも、

なんて。



舞台すぐ横で鳴らされる独特の音楽。

毎回違うらしくて。

それは、同じ場にいて、見て聴くからこその音楽だから

芝居と同じ、今しか奏でられないものかと思ったら鳥肌立った。

生演奏だからこそ。


常に音が流れているのも、きっと自然の中にいたら色んな音が聞こえる。

そんな当たり前の環境さえも感じられたり。




膨大な情報、言葉、音と光の洪水に呑まれそうでした。


それを、演劇だから出来る手腕で次々に魅せる演出の力にも圧倒。

俳優陣への信頼も、もの凄く伝わってくる。

だからこんなにも分厚いんですね。

凄い2時間10分でした。




風琴工房を観たあとは、必ず何かを考えさせられて、何かを持ち帰る自分がいる。


それほど、毎回刺さって抜けない強いものがあるんです、ね。


来年からのserial numberも、どういう作品達になるのか

楽しみすぎます。