東京 (17/04/22) 江戸城番外編 04 忍城、さきたま古墳群、荒川
- 忍城
- さきたま古墳群
- 荒川
昨日は長距離を一日中走って、夜は宴会でかなり疲れていたのか、昨夜は熟睡。朝起きて、清本氏と朝食をマックで取り、お昼までは一緒に自転車で走る事にした。目的地は行田市のさきたま古墳公園。
水城公園、旧忍町信用組合店舗
行田市に入ると交差点に城のモニュメント (写真左上) がある。忍城をイメージしている。次いで、忍城の外堀の沼を利用して整備された水城公園 (写真下) の中を通る。この辺り一帯が忍城だった。公園の中にはレトロなVert Café (写真右上) があった。大正11年に建てられた旧忍町信用組合店舗をcafeとして使っている。
忍城
古墳群への途中に忍城がある。一度来た事がある城だ。映画「のぼうの城」の舞台となった城で、文明年間 (1469年~1486年) に山内上杉氏配下の成田親泰が築城したとされ、関東七名城の一つ。1590年に豊臣秀吉と小田原北条氏の戦いで、城主の成田氏長は小田原城にて籠城し、氏長の叔父の成田泰季を城代とし、約500人の侍や足軽のほか、雑兵、農民、町人など3,000人が忍城に立てこもった。石田三成は利根川の水を利用し、石田堤を築き水攻めをするが忍城は持ち堪えたが、小田原城が落城した事で開城となった。北条氏が滅んだ後は徳川家康の領地となり、松平氏を経て阿部氏が城主となり明治まで忍藩として続いた。
廃藩置県後、忍城は廃城となり、解体され、当時の建物は残っていない。本丸跡に御三階櫓が古文書を元に外観が再現され、行田市郷土博物館となっている。
埼玉 (さきたま) 古墳群
忍城から数キロで古墳群に到着。埼玉 (さきたま) 古墳群は5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に連続して築かれた、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基並びに小円墳群で構成されている。
この古墳群を昭和51年に公園として整備して開園している。広大な公園だが隅々まで芝生も刈り込まれ、ポタリングロードもあり、のんびりと古墳を巡りながら散歩するには絶好の所だ。
まだ昼前だが、雨がぽつりと落ち始めた。天気予報を見ると午後4時には雨になっている。ここからはまだ60km走って東京に帰る予定なので、一緒に昼食としていたが、急遽ここでポタリングを切り上げ、それぞれの帰途につくことにした。清本氏とはここでお別れ、また数ヶ月後に会う事を約束して出発。
荒川サイクリングロード
帰路は北鴻巣まで出て、そこからは35kmほど荒川サイクリングロードを通る。このルートは何回となく走ったが、ここ5年ほどは荒川からは遠ざかっていたので久しぶりだ。荒川は利根川程では無いが、川幅は広く、その河川敷は地域のよってさまざまな姿を見せる。まずは堤の上をサイクリングロードがある。そして、堤防から川に下る。林の中に入り、ぬけると畑の中を走ることになった。所々は菜の花並木 (?) となる。
飛行場にも使われている。やっと川筋が見えて来た。
後半になると堤防の上に上がる。道幅が広く路面も凸凹はない。近年整備したようだ。ここからは川幅も広くなり景色が良い。
荒川からは笹目橋で離れるのだが、笹目橋近くにある水門が見えて来た。今日は娘達が住んでいる家に行く。ここからは10km程だ。
雨に降られる事なく4時に到着。娘達と一緒に中華料理店に行き、夕食をし、家に帰りそのまま眠りについてしまった。今日も80kmの長距離ライドとなったので疲れていたのだろう。