自然そのものが最高の医師である
Facebook小早川 智さん投稿記事『自然そのものが最高の医師である』
by ヒポクラテス
■ヒポクラテスの格言
・火食は過食に通ず
・満腹が原因の病気は空腹によって治る
・月に一度断食をすれば病気にならない
・病気は神が治し、恩恵は人が受け取る
・汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ
・人は自然から遠ざかるほど病気に近づく
・病気は食事療法と運動によって治療できる
・食べ物で治せない病気は、医者でも治せない
・人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている
・賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ
・病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない
・健全なる体を心掛ける者は完全なる排泄を心掛けねばならない
・食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか
・人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる
・病人に食べさせると、病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ、病気は早く治る
・病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである
https://tezukaosamu.net/special/bj/words.html 【BJ名セリフ】より
「正義か。この世にそんなものありはしない」
まずはこの言葉。これこそがBJって人間が存在してることの裏付け、みたいなものだ。
免許を持たないモグリの医者で、オペの代わりに莫大な報酬を要求するアウトローだからな。
アウトローが「正義」なんてものを信じてたらおかしいだろう。
奴は正義なんてものは信じない。だから勧善懲悪、なんて善悪二元論にも与しない。
奴が信じてるのは正義でも悪でもない。奴はいつだって生命そのものの神秘を信じてる。
生命に正義も悪もない。
ライオンに食われるシマウマの、どっちが正義でどっちが悪だとは言えないだろう?
生命はただ互いに関わり合い、この星の生態系の存続に貢献しようとする。
BJはそのシステムを信じ、それゆえに苦悩してもいるのさ。
「医者はひとのからだは治せても、歪んだ心までは治せない」
どんな病でも治せる、と豪語するBJが唯一、白旗を揚げるのがこの《心の病》という奴なのさ。
つまり精神科の治療は苦手分野ってことだな。
けれど体の病も心の病から発症してるなんてことも確かにあるし、プラセボ、という偽薬は、薬を与えられた、という思い込みがその人の病を治していく、という事実に即して実際の医療現場でも使われる治療行為のひとつにもなっている。
そしてBJ自身、そのプラセボ効果を使って治療することもある。
だから人の心が持つ強い力にBJは白旗をあげてるばかりでもないんだけどな。
「この空と海と 大自然の美しさのわからん奴は生きる値打ちなどない」
どんな命も救う、というのがBJって奴の建前だけどな。
奴にだって価値基準がある。それがこの台詞でよくわかるだろ。
生命そのものがBJの信仰だと言ってもいい。だから地球という生命のゆりかごが奴の神殿だ。
そして生命という名の神を冒涜する奴らをBJは許さないのさ。
「彼女は私を憎んでる。私を殺すために早く治りたいと思っているだろうな。
それでこそ、きっと治ってくれるさ」
これもまた生命そのものが何よりも優先されるBJの価値観を表してる言葉だとは思わないか?
奴はその命に生き延びたい、というモチベーションを与えようとしてる。
生きよう、という意思が生まれるならたとえそれが憎しみから生まれるとしても構わない。
善も悪もない。すべては「生命」に奉仕するのさ。
自分自身が憎しみの対象となることも、だからBJはいとわない。
他者の命が長らえるなら、自分はその犠牲になってもいいとさえ思っている。
つまり殉教者気取りなのさ、BJって奴は。
「人間が人間を裁くのだと言ったね。人間は動物を裁く権利があるのかい」
BJはこう思ってる。命ある者にはすべて平等の権利があるのだ、と。
そこに血を流したり病に冒されたりしているものがあれば、それが人間だろうと動物だろうと、あるいは異星人だろうと常に同じ「救うべき命」として存在している。
だから人間が動物に対して理不尽な行いをすることを奴は許さないし、人間の犠牲になる動物たちも看過しない。
奴にとっては、人間も動物も同じ生命を有するもの同士であって、決して優劣はないのさ。
それが如実に示されたのが連載最終回だった『オペの順番』でもあったのだから、この、すべての命あるものは平等に扱われる権利がある、という思想はブラック・ジャックという作品全体を貫く大きなテーマのひとつなのだともいえるんじゃないかね。
「誰かに軽蔑されるような医者にはなるな」
生命を長らえさせるためなら自分が悪者になる。それは構わない。BJって奴はそう思ってる。
けれど他の医者が自分の真似をして医師という職業そのものが持つ気高さが失われることは認めがたいらしい。
命を救う医者という職業は生命という神殿を守る天使に等しい。BJはそう思ってるのかもしれない。
だからこそ、堕天使はひとりでいい。
生命の輝きのために自らを闇とするような、そんな医者はひとりいればいい。
BJはきっとそう思ってるんだろうな。
「医者は患者を治すだけが商売だ。……さようなら」
BJのことを見ていると、その禁欲的で世俗の恋愛を超越した姿が、まるで聖職者みたいだと思わせられる。
命を救った女性から愛を打ち明けられ、結婚して欲しいと言われたBJが彼女に対して答えたこの言葉にもそれを感じるね。
……わたしは愛されるような人間じゃないよ。
自らを、正義を信じない無免許医という犯罪者で闇の堕天使だと任じている彼は、だから光ある世界で幸福を願う女性を受け止めることは出来ない。そう思ってる。
聖職者が神への愛を貫くために世俗の欲望に背を向けるように、生命への愛に殉じる彼には普通の女性との恋愛など最初から無理なのさ。
「だだをこねるない。いい加減にしろ。俺がお前ぐらいのときにゃあ、体中がバラバラだったんだ!」
患者というのは病や怪我の苦しみから逃れたくて、もう死にたい、などと弱音を吐くことがある。
けれどそんな「生きようとする意思」を挫けさせた患者にBJはことのほか厳しい。
なにしろ「生命」こそが神であり、「生きること」こそが、すべての生ある者への至上命令なのだと思ってるのがBJなんだ。
死にたい、とか、もう駄目だ、なんて弱音やあきらめは絶対に許さない。
そんな弱気になった者の、その体の中ではしかし免疫細胞が損傷した部位を直そうと懸命に働いているし、細胞たちは生き延びるためにせっせと新陳代謝を続けている。
その無言の努力はひとえに「もう死にたいよ」などと泣き言を言っている体の持ち主を、それでも生き延びさせるために続けられているのだ。
そんな「からだ」という精密機械の不断不休の重労働に常に敬意を払っているBJだからこそ、生きることを諦める患者は許さないのさ。
そしてそれゆえに、安楽死を提供する俺と敵対してるってわけさ。
「何をしょげてる? お前は私の奥さんじゃないか。それも最高の妻じゃないか。いこう。患者が待ってるぞ」
世俗の恋愛には背を向け続けるBJから「君は私の最高の妻だ」と言わしめさせたのは、BJによって作り上げられた人造人間ピノコなのである。
神が自分の作品である人間たちを愛するように、BJも自分の作品への愛をここで表明する。
しかしBJがピノコへの愛を表明するのは、自分の最高傑作だから、ではもちろんない。
本来人間という姿を持ってこの世に生まれることが出来なかった奇形嚢腫。
それゆえにピノコは普通に生きようとすれば、普通以上の努力と根気と、何よりも生きようとする強く揺るがない意思が必要な少女なのだ。
だからこそ、そんな姿がBJの胸を打つのだろう。
生命そのものを愛するBJゆえに、生きようという意思の塊であるピノコこそが、愛するに値する特別な存在たり得たのだろう。
「家なんか何軒も建てられるが、この子の命はひとつきりだぞ」
その命を救いたければ5000万円いただこう。
なんていうのがBJの決まり文句だし、高い治療費を請求することで患者自身に金銭には換算できない命の価値を気づかせる。それがBJって奴の行動基準ではある。
だからBJは金の亡者なのだ、という批判は真実ではない。
BJはその患者に生きる意思がある限り、そして生命そのものへの敬意を持っている限り、「じゃあラーメンでもおごってくれりゃあいいですよ」なんて微笑むことだってある。
ここに紹介した台詞もそんなBJの一面をよく表してるんじゃないかな。
どれだけ金を積もうと、ひとつの命は他の何者にも置き換えることが出来ない。
いま目の前にある命、それは世界でたったひとつの命なのだ。
そしてこの地球の歴史上、はじめてこの地に生まれ、そして二度と生まれることのない唯一無二の存在なのだ。BJは常にそのことを忘れずに患者と向き合っているのさ。
「初恋は失恋に終わりぬ、か。そうがっかりするなよ。これは春一番さ。これから本当の春が来るんだ」
BJは本人にその自覚があるのかどうか知らないが、かなり《少女》ってモンにやさしいし、彼女たちの恋愛指南、人生指南を図らずもしてしまうことも多い。
大人の女性にはけっこう厳しいのに、少女にはかなり寛大なのは、BJ自身が本当はロマンチストだからなのだろう。少女たちの中に、神聖な生命の躍動を感じているのかもしれない。
「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」
BJ自身の言葉ではないが、やはりBJを語るならこの言葉は無視できないだろうね。
どんな病も治せると豪語していた若き日に、しかし恩師の命を救うことが出来ずに挫折するBJに対して、恩師が語りかける最後の授業としてのこの言葉。
これは自信にあふれた天才外科医が、しかし生命に対して謙虚にならざるを得なくした言葉でもある。
この言葉がそれからのBJをより「生命に対して真摯に向き合う」人間に育てたのだと、俺はそう思う。
「この瞬間は永遠なんだ」
BJだって人の子だから恋もするし、男なのだから女性を愛することもある。とはいえ彼が生涯で女性を本気で愛したのはこの如月恵という女医に対してだけだろう。
だからこそこの「永遠」という言葉が重く印象に残る。
人を本気で愛する時、誰もが「永遠に君を愛す」みたいなことを思うし、誓いも立てるだろう。
けれど正真正銘、ただ一度の愛を永遠に心にとどめ置く人間なんて、そうそういるもんじゃない。
その意味では自分が発したこの「永遠」という言葉を自分の愛の墓標としたBJを俺は、なかなかの人物だ、と認めてやってもいいと思ってる。
「たいした奴だな。簡単に五人も死なせるなんて。こっちはひとり助けるだけで精一杯だ」
テロリストが大量殺人をして逮捕されたとき、そこに居合わせたBJが言う言葉だ。
そう、人の命を奪うことはたやすい。銃で撃っても爆弾で吹っ飛ばしてもナイフで刺しても首を絞めても、人は容易く死なせることが出来る。それほどに生命というのは脆い。
だからこそ、それでも生きようとする意思が尊いのだし、だからこそ、消えゆく命の灯火を守り抜く努力が頼もしくなる。
BJのこの言葉は、俺は全霊を傾けて、命という名のガラス細工を守り抜くのだ、というBJの決意表明でもあるってわけさ。
「もし人の命を救ってその人の人生を変えたなら、歴史だって変わるかもしれないだろう?」
唯一無二、ほかに換えの効かないたったひとつの命を、あんたや俺はみんな一人にひとつずつ持っている。
そしてその一つ一つの命が、この星の文明や歴史そのものを動かす力をそれぞれに持っている。
無駄な命、軽んじていい命、というのはひとつもないし、見殺しにしても許される命、というものは存在しない。
最も、だからこそ「歴史を動かすかもしれない命」をそうはさせじと殺してしまう暗殺や謀殺が、歴史には繰り返されるわけだけどな。
「医者は何のためにあるんだ!」
病気ならすべて治せる。その信念が大きく揺らいだ瞬間だ。
人口増加が地球というシステムを壊してしまう。
だから大自然は地球そのものを守るためにすべての動物の体を縮小させてしまう病原体を生み出した。
この『ちぢむ』というのはそういう話さ。 このウイルスに感染した人や動物をBJは救おうとするけれど、それは地球そのものを殺してしまうことにつながる。
そのジレンマの中でさすがのBJも医者という存在への疑問を叫んだ瞬間だ。
「それでも私は人を治すんだ。自分が生きるために!」
この俺様に向かって、奴がそう言い放ったのは安楽死を願っていた私の患者を、奴が奇跡的なオペで救ってやり、けれどその患者が元気になった直後に事故にあって死んじまった時だった。
結局、死ぬ運命の患者だったのさ。私がそんな意味を込めて高笑いすると、奴はこの言葉を言い放った。
自分が生きるために人を救う。
私は背中でこの言葉を聞きながら、はじめてはっきりとわかったのさ。
BJって奴は生命そのものを信じているのだと。その決して諦めない意思を。
そのひとつひとつがつねに全体とつながりながら、すべてを生かしている、という偏在性を。
そしてひとつの死が生命そのものの終わりではない、という永続性さえも、奴は信じているのだと。
まるで手塚治虫とかって漫画家が描いてる『火の鳥』と同じことを奴も信じているのだと、あの長い石段で奴がこの言葉を怒鳴ったとき、私ははっきりとそれを知ったのさ。
「いいか。患者に治ろうという努力の気持ちがあってこそ、医者の治療は効き目があるんだ!」
BJは繰り返し、ことあるごとに、患者の生きよう、治ろう、という意思こそが大事なのだと語っている。
それは生命に対する生きとし生きるものすべての、たったひとつの義務だからだ。
すべての命は「生きるために生まれてくる」、そしてひとつの命がそれに関わるほかの命に奉仕することで、この宇宙という生命のコスモゾーンは成り立っている。
命は「生きようとする意思」をエネルギーにして輝くのだ。
そしてほかの命を持つものすべてのためにも、その光は強く輝かなければならないのだ。
だからめげるな、だから泣き言は言うな、だから顔を上げて明日を見つめろ。
BJのメスは常にそう言いながら患者の命を輝かせるために使われている。
「病気って奴は、この星空みたいなもんだねえ」
俺自身が原因不明の奇病で死に瀕していたとき、俺を救ってくれたのがBJだった。
そしてBJはその時、新種の病気を発見し、その治療法も発見したのさ。
新しい病気の発見、それを学会に発表しないのかと訊いた俺の妹に「一文にもならん」と答えたBJだが、奴がそ の時考えていたのは病気の発見者として歴史に名を残すことではなく、やはり生命の神秘に対する畏怖だったのだろう。
ひとつ星が流れて落ちても、星空そのものが無くなってしまうことはない。
ひとつ、またひとつと新たな病気を発見し、その治療法を解明して病を征圧しても、病という存在そのものを消し去ることは出来ない。
それは星を輝かせるには闇が必要なように、常に生命の周りを包み込む。
この台詞には奴のそんな畏怖が現れている。
https://tezukaosamu.net/jp/manga/438.html 【ブラック・ジャック】より
ストーリー
無免許の天才外科医ブラック・ジャックが活躍する医学ドラマです。
ブラック・ジャックは、天才的な外科医で、死の危機にさらされた重症の患者を、いつも奇跡的に助けます。しかしその代価として、いつも莫大な代金を請求するのです。そのため、医学界では、その存在すらも否定されています。
人里離れた荒野の診療所に、自ら命を助けた助手のピノコとともに、ひっそりと暮らすブラック・ジャック。彼の元には、今日も、あらゆる医者から見放された患者たちが、最後の望みを託してやってくるのです。
解説
人間の病苦や生死についてのドラマが、ほぼ毎週一話完結で描かれる作品です。
たった一話でこれほども、という広がりを見せるお話もあれば、ほんの数時間のドラマを扱うものもあり、そのバリエーションの広さに圧倒されます。この作品のファンは誰しも「お気に入りのエピソード」「印象深いエピソード」があることでしょう。
作品に登場する治療法や病気に関してはでたらめも多い、と後に手塚治虫自身が書いていますが、臓器や手術法の描写はもちろん、患者に対する接し方や、生命に対する哲学的なまなざしなどは、いまなお現役医師にもリスペクトされています。
手塚治虫は医学博士であり、医者の免許を持っていました。それで、自分がもし医者になるならこんな医者になってみたいという理想の姿を描いたのが、この『ブラック・ジャック』です。
『ブラック・ジャック』は、初め、漫画家生活30周年記念・手塚治虫ワンマン劇場と銘打った、手塚マンガのキャラクターが総出演する短期(5回)読み切り連載の予定でした。しかし人気が出たため、結局、5年間、230話にわたって読み切り形式で連載は続き、連載終了後も読み切りとして13話が描かれました。
主な登場人物
ブラック・ジャック
天才的な技術を持つ外科医。外科ならば脳外科から眼科まで幅広く対応できる。ただし、医師免許は持っていない、いわゆる「もぐり」の医者。世界的に有名で、医師たちにも広く名を知られている。高い報酬を要求したり、人体実験すれすれの治療を行うため、一部の医師たちは彼を敵視しているが、患者を救いたいという意志は誰よりも強い。トレードマークは黒いコートに顔を斜めに走る傷跡。本名・間黒男。
ピノコ
かつては畸形嚢腫という、双子の姉の体内に取り込まれてできた大きなできものの中でばらばらのまま生きていた少女。ブラック・ジャックが足りないパーツを補って、人の姿にした。18歳の女性の体内に長く取り込まれていたため、自称・18歳の「レレイ」。幼い女の子の姿をしていて、舌足らずなしゃべり方で話す。おかっぱの髪と、4つのリボンがトレードマーク。
本間丈太郎
かつて不発弾の爆発事故で、大ケガを負ったブラック・ジャックの治療を担当した外科医。到底生存困難と見られたブラック・ジャックを救ったほどの腕の持ち主。ブラック・ジャックは彼を先生と慕い、医師になることを目指した。著作の「ある身障者の記録」では、ブラック・ジャックがリハビリのために長い徒歩旅行をしたことを書き記している。老衰で死去。
如月恵
船医。かつてブラック・ジャックと同じ医局に勤めていた女性医師。ブラック・ジャックとは相思相愛の関係だったが、子宮がんを患い、ブラック・ジャックの手術を受けた。かつては「如月めぐみ」と名乗っていたが、船医になってからは男装をし、「如月恵(けい)」と名乗っている。
ドクター・キリコ
「死神」と呼ばれる安楽死を専門とする医師。ブラック・ジャックはすぐに患者を殺してしまうキリコに反発し、たびたび衝突している。もともとは軍医で、満足な治療の見込みもなく苦しむ負傷兵たちを安楽死させたことで、人間は死ぬべき時に死ぬことも大切なのでは、と考えるようになった。片目に眼帯をし、こけた頬と長い白髪がトレードマーク。
手塚治虫が語る
「ブラック・ジャック」
ブラック・ジャックについて、裏話をいろいろかいてみましょう。
まず、いちばんよく聞かれるのは、どこからああいった設定を考えついたかという質問です。
この漫画は、もともと五回ほどの短期連載の予定で、編集部からもそういう希望だったのです。だから、五回でブラック・ジャックの身の上や、性格なんかかきつくせるはずがありません。五回とも、「この医者は、どこかでメスをふるって奇跡をおこしているはずである......。」といった調子の終わり方をし、謎に包まれた怪人物のまま消える運命だったのです。
あの向うキズはおろか、顔の色がちがう点や髪の毛が白黒だったり、時代おくれの蝶ネクタイにマントのいでたちだったり、なぜ大金をとるのにあんなオンボロ小屋に住んでいるのか? ということなんか、これっばかりも理由を考えなかったのです。黒に白がまざる髪の毛なんか、最初はただの光のツヤだったのです。
ピノコとかキリコとか、本間教授とか女医の桑田このみとかは、そのつどいちいち加えていったキャラクターでして、物語の最初からきめられていたディテールではありません。こういった読み切り連載ものでは、そういう用意はほとんどなく、いきあたりばったりできめていくのです。
(後略)
(講談社刊 手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』18巻 あとがきより抜粋)