勝ちさび
Facebook今野 華都子さん投稿記事 「怒りを愛に変える魔法の言葉」
芝公園古事記の会場は大好きな東京タワーが見えます。平日にもかかわらず熱心にお集まりです。
古事記の「勝ちサビ」から怒りを学びました。
怒りの元になっているのは、相手を思うようにコントロールしたいという感情に反する時ですが、その他に、心配、苛立ち、恐怖、残念な心があってそれにヒットした時、怒りという感情が先に湧いてきます。
怒りはとても大きな感情なので、自分相手も傷つきます。
そこで独りよがりに怒りを我慢し押し込めるのではなく、怒りの元を分かり相手の心に沿った愛の言葉に変えましょう。
「心配した」「残念だった」「ひとりて悲しかった」などと言ってあげられること。
相手と共有すること、アマテラス様はそれを「咎めず」と言っておられます。
神典「古事記」には私たちの、生きる知恵が書かれてあります。
https://ameblo.jp/k-konnothalasso/entry-12417553361.html?frm=theme 【今朝の悟り 魔と間(あわい)】より
イザナギはイザナミを黄泉の国に迎えに行き入り口で待つよう頼まれた、しかしその待つ間に魔が差して中に入ってしまいます。スサノオも神殿の前で待てと言われて待てずに天斑馬落としという最大の穢れを犯してしまいます。待つ間に不安にかられて魔が差すのです。
出来心と言うように、悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る事です。
それは頭であれこれ考えて不安要素を思い心が揺らいで、信じているものから離れてしまうのです。
相手を信じる事は、自分を信じる事です。
羽黒山伏の星野先達と早池峰山、今回は高千穂と回らせていただき、本質と繋がっている人は、自由闊達で囚われがなく、優しく、朗らかです。
信じて待つ
この言葉で3年前大晦日に拝見したを松例祭(しょうれいさい)思い出します。
松例祭(しょうれいさい)とは羽黒山伏の代表の二人が100日間、参籠、潔斎、勤行、精進して毎日祈ります。
しんしんと雪が積もる、こおりの世界で心身を清め小さな苫屋に入った五穀の種に穀霊の出現を待つのです。
ただひたすら身を清め 祈り 待つ この待つが(松)と書き換えられているのです。
間を大切にする日本人
待つ、信じて待つ 揺らぐ心を清め整え待つ そして大自然と一体になった時 始めて神と同化し穀霊が出現するのでしょう。
信仰とは自然を敬い人を敬い すべて作り出した本質に繋がっている事
その畏敬の念が自分の中に湧き上がりその神聖な気持ちを信じきることに他ならないと感じました。今日も生かしていただきありがとうございます。
では今日も自分からいい日にします。どうぞよろしくお願い致します。感謝
https://ameblo.jp/k-konnothalasso/entry-12218948832.html 【須佐之男命の「勝ちさび」の行動からの学び。】より
自分は、この世にどうして生まれてきたのだろうか?何をなすべきなのだろうか?
スサノオはこの葦原中津国(現し世)で何をすべきなのか悩み苦しんでいました。
今日の「神戸古事記塾」は須佐之男命の〈勝ちさび〉の行動からの学びです。
須佐之男命は高天原で天照大神にお会いになり、御霊(みたま)鎮(しず)めをし、天安川で禊 し初めて自分の本質に目覚めます。
「おお〜〜!自分の本質は天照大神と同じ光であった!天之御中主、神産巣日、高御産巣日の神から続く日の力をいただき神のむすびを実現していくことであった」と気づきます。
それぞれに役割や受け持ちの違いが有ります。
天照大神の受け持ちは、いついかなる時もすべてのものに「ひかり」を与え、使命に目覚めさせてくださること。光はそれを受けるものがなければ輝くことが出来ないし、その存在を明らかにすることも出来ません。天照大神の受け持ちは見えない心の部分であるのに対し、
須佐之男命の受け持ちは、日の光によって植植が成長し、花が咲き実を結ぶように、人々の命が栄えゆくよう、具体的に手足を動かし田畑を作り、家を作り、素直な愛に満ちた生活の実現をなすことでした。
この世で何をなすべきなのか、自己の役割を実現するために必要ことに目覚めた須佐之男命は、力に満ち溢れ「心はやる」状態であったことでしょう。
お父上の伊邪那岐命の「汝が命は海原をしらせ」という〈神勅 ことよさし〉が力強い喜びを持ってよみがえってきたことでしょう。
そして改まった気持ちで自分の受け持ち実現のため邁進していくのです。どんな困難も苦労も自分のの使命の実現に必要なものでした。
でも、高天原のあちこちから苦情が出て参ります。「自分は正しいことを一生懸命やっているのに他の神々迷惑に思ったり気まずいことになるのはどうしてだろう」と思い悩みます。
須佐之男命の使命はこの世での幸せの実現です。物事の発展には現実の否定が含まれます。
自己の受け持ちを進歩発展する時は、他の人の受け持ちを無視する状態が起こりうるのですが、どちらにも受け持ちが有ります。
相手の立場を尊重し、無用な衝突は避けなければなりませんね。
ご参加の方々がどんどん可愛くなっていくのを拝見するのはとても嬉しいです。
お休みの日もこうして学びに来てくださってありがとうございます。
http://toi-clinic.com/sinwa/21-40/sinwa-26.html 【「勝ちさび」】より
スサノヲはアマテラスとのウケイで女神を得たため自分の清浄心が示された、すなわちアマテラスに勝ったという勝ちさびに乗じて高天原で大暴れする。勝ちさびとは勝者らしく振る舞う事であり、さぶという言葉はかみさぶ・おとめさぶなどと使われる。一方アマテラスはスサノヲの乱暴・狼藉に対し善意に解釈し言い直すという詔り直しをしている。すなわちアマテラスはスサノヲに対して寛容の美徳を示しているにもかかわらず、スサノヲの乱暴・狼藉はおさまらないのである。人によっては善意が通用する場合と通用しない場合があることを知っておく必要がある。その後大勢の神々によりスサノヲは追放されたのであり、人の性格によっては大勢により追放などの本人にとって厳しい処置が必要になることもあるということだろう。
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12616560651.html 【「さび」という華やぎ】より
本来、否定されるべき「さびしさ」は、肯定すべき「境地」としての位置を占めるに至るのです。そうなりますと、もはや「さび」です。
―復本一郎『さび 俊成より芭蕉への展開』―
「さび」を考えるきっかけは、松尾芭蕉の『おくのほそ道』種(いろ)の浜での、
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋(さびしさや すまにかちたる はまのあき)であった。
この句はなにやら「寂しさ」を称えているように感じた。
多くの現代人がそうであるように、私の人生も「寂しさ」を排除する為の戦いであったような気がする。
「寂しさ」が嫌だから、恋をし、仕事をし、お金に執着し、世間に逆らわず生きていた、と言えなくもない。「寂しさ」こそ一番苦しいものではないか。
たとえ、どんなに恵まれた人であったとしても「老・病・死」は必ず来る。
それは「寂しさ」を伴うものである。どんな人も「寂しさ」から逃れることはできない。
が、その「寂しさ」から少しでも離れようとするのも人間ではないか。
しかし、この句は、寂しさこそ美しい、尊いと言っているかのようだ。
芭蕉の『嵯峨日記』をもう一度読んだ。そして、次の箇所を見つけた。
喪(も)に居(い)る者(もの)は悲(かなしみ)をあるじとし、
酒(さけ)を飲(の)むものは楽(たのしみ)をあるじとす。
「さびしさなくばうからまし」と西上人(さいしょうにん)のよみ侍(はべ)るは、さびしさをあるじなるべし。-松尾芭蕉『嵯峨日記』―
喪中の人は悲しみを心の主とし、酒を飲むものは楽しさを心の主としている。
訪ふ人も思ひ絶えたる山里のさびしさなくは住み憂からまし
(とうひとも おもいたえたる やまざとの さびしさなくば すみうからまし)
と西行上人が詠んだのは「寂しさ」を心の主としている。と言っている。
はっきりとは言っていないが、ここでも「寂しさ」を尊んでいる芭蕉が見える。
西行の和歌の意味は、かつてこの山里の庵を訪ねてきてくれた人々…。
その人とまた会いたい、また、訪ねて来て欲しい、などという思いもやがて消えてゆき、
訪ねて来てくれた人さえも、私のことなど忘れたであろう、そんな山里に住んでいるが、
その寂しさがあるからこそ、私はここに住み続けることが出来るのだ。
という意味で、これもまた不可思議で、「寂しさ」を何より尊いものと考えている。
まあ、調べてみると、これは西行、芭蕉特有のものではなく、『古今和歌集』以降の詩歌全てに通じるものであるようだ。
つまり、寂しさは詩の源泉なのである。
「寂しさ」イコール「さび」ではないが、この二つの言葉の根幹は同じものがあるだろう。
司馬遼太郎さんは『街道をゆく』の中で、『嵯峨日記』の上記の文章に触れ、芭蕉の俳句の本質について、こんなことを書いている。
「憂し」「さびし」という気分を透明にして行ったあげく、昇華されて華やぎに転じたときに俳句がうまれる、ということをいっているかもしれない。
以前、「さび」について書いたことがあるが、『ひさしぶりに「さび」を考える。』
(栃木県 雲巌寺) 「おくのほそ道」~那須野【原 文】小(ちい)さき者(もの)ふたり、馬(うま)の跡(あと)慕(した)ひて走(はし)る。ひとりは小姫(こひ…
司馬さんの文章を読んで、「寂しい」という感情が華やぎに転じた時に詩が生まれ、それが「さび」というものではないか、と考えた。
先日、復本一郎さんの『さび 俊成から芭蕉への展開』に冒頭のことが書いてあって、多少の違いはあっても、司馬さんの言うことと同じように思えた。
最初に書いたように、人間にとって「寂しさ」は本来、忌み嫌うものであり、遠ざけるべきものである。
しかし、それを積極的に肯定することによって「さび」は生まれるのである。
復本さんはこういうことも書いていた。
詩歌人は「さび」に欠かせないもとして「旅」と「草庵」があった。
これは日本の詩歌だけではなく、漢詩の世界にすでにそれを見つけていたのである。
復本さんは、旅は旅人を孤独に誘うものであり、
「草庵」も、また、「旅」同様、人をして孤独の極みに立たしめ、自己の内部における「さびしさ」の質の転換を迫る場であった。と述べている。
そして冒頭の言葉となる。
この「質の転換」に司馬さんが指摘した「華やぎの昇華」も含まれているのだ。
人は旅や草庵に身を置くことによって、寂しさを深め、それが極まった時、「寂しさ」が華やぎや透明や雅の心を得、それが詩歌となる。
それこそが「さび」ということなのであろう。