何故か雨が多い気がするのは私だけ?
何故か梅雨寒の様な天候が続いております。皆様体調崩されない様お気を付けください。
さてこの天候のおかげと慢性の金欠により中々作業が進まないたなご池でございますが色々活動はしております。この度は桜井釣漁具様からカタログの撮影の場所として当池を活用して頂きました。色々な撮影プランもありまして当池のたなごを使っての撮影やら近くの場所のロケハンやらなかなか大変だな~と思いました。どれが採用されるかはカタログを見てのお楽しみと言う事で以前大会に出て頂いた三代目江戸藤さんも櫻井副社長と来て頂き少したなご池で遊んでもらいました。少しアクシデントも御座いましたが楽しんで頂けた様で何よりです。それで少し気になったのは皆様、当池に薔薇釣りの道具立てでトライするのですが遅しもりの仕掛けでは小さいのに邪魔されて良型がいる棚まで餌が届かないのです。在来をやっている方は底近くまで一機に沈むことの出来る錘の背負える浮きを使用しているから安定して良型を釣ることが出来ます。やはり繊細で敏感な仕掛けは万能では無い様です。その対象魚や状況にあった道具立ての選択が出来る事が重要と思い知らされます。当然針も小さければ良いという訳でもないのでポロポロ魚をばらす人を見ると情報に左右されて頭でっかちになってるな~とか思っちゃいます。やはり状況に応じた対応力、それを判断する考え方が重要と再認識いたしました。より繊細に。も宜しいですがその先のステージがある事を皆様早く気づけば良いのに…。と思います。
そういえば今回のカメラマンの方に面白い話をして頂きました。東京たな研の宇留間氏の師匠の鈎とぎ名人の方(やはりスイスの時計職人が使う様な舶来製の鈎とぎヤスリをお持ちだったとか…)が仰ったそうですが昭和のたなご釣りでも自作で鈎を作った方がいたそうですが長くは続かなかったと言うかその行為が全否定されてしまった様です。何故ならその行為は漁師であり、釣師ではないという事。釣れれば良いというだけのは粋ではない。数を釣る事だけに執着し、魚との駆け引きが希薄になる。つまりは釣りがつまらなくなる。既製品を自ら研ぎ上げ、魚と対峙することが釣りである。と言うお話でした。(なんかどこかで聞いたような…w)まあ昭和初期からゲーム性を求める方がいたんだなと言う貴重なお話でした。まあ自分の考えが間違っていなかったんだな。と言うのが一つ。もう一つは自作鈎に今まで誰も手を出さなかった理由がこれで解りました。やはり先駆者の中でも問題になり、その行為が恥ずべきものである。と封印されたわけですが、その伝承がついには途切れ、今になって復活した様です。釣りは伝承の遊びとはよく言ったものです。途切れたらこうなるんですね。本当勉強になります。
と言う事で一応記録としてここに留めましたがあとは皆様がどう考えるかはご自由に…。このお話を否定されるのも結構。また肯定するのも自由です。この行為が自分にとってどうなのか色々と自分自身に問うてみるの面白いかも知れませんね。
またまた堅苦しいお話となりましたので目の保養を一つ、二つw
江戸藤さんの水箱兼合切箱です。ご自分で作られたとか。流石竿師ですね。しかもご自分用の誂え竿が入ってますがこれは市販してくれないそうですw
これを使っての写真撮影の風景です。どんなカタログになるかはお楽しみに。
しかし釣り堀の方は一進一退です。中々前に進みません。色々とやりようはあるのですが資金難が足を引っ張ります。まあ仕方ないですね。
まあ色々と大変ですが残念ながらまだ生きてますw
ではまた。