【浅草①004】浅草左衛門町
町番号:浅草①004
町名:浅草左衛門町
読み方:あさくささえもんちょう Asakusa-Saemonchō
区分:町丁
起立:1890(明治23)年10月
廃止:1963(昭和38)年12月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除き「浅草」
現町名:台東区浅草橋一丁目
概要:古くは豊島郡峡田領鳥越村のうち。この地には1598(慶長3)年以来、出羽鶴岡藩酒井家17万石の下屋敷があった。「慶長以来旧荘内藩酒井氏の邸地たり。明治元年之を公収し、市廛を開き平右衛門町に隣接するの故を以て、新平右衛門町と称せり、地神田川に臨み、酒井氏世々左衛門尉と称するより、里俗之を左衛門河岸と云ひ、明治廿三年十月遂に町名となす」(案内)。
1868(明治元)年に収公し、1872(明治5)年にはその跡地に町屋を開き、浅草平右衛門町に隣接していることから「浅草新平右衛門町」と称した。同年の戸数5・人口25(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1890(明治23)年10月、「浅草左衛門町」と改称。酒井邸は神田川に臨み、その前の川岸は酒井家が代々「左衛門尉」と名乗っていたことから、俗に「左衛門河岸」と呼ばれていた。町名はこの河岸名に因んで付けられた。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により、浅草橋一丁目に編入となり消滅。現行の浅草橋一丁目西南部。以前、浅草橋一丁目12番6号にあった店舗の幌には「風水瓷土 左エ門町 陶家めざき」とあった。
撮影場所:浅草左衛門町